Vol.333:KUCHE


 今回取材をするのは大阪の人気店「KUCHE」。大阪屈指の激戦区を長く牽引し、多くのラーメンファンに愛されているお店だ。そして2023年には店主自身が名作「KURO」と共に東京へ行き、新ブランド店Zweiter Läden」をオープンした。商品やお店作り、屋号など全てに拘りが強く見えて、その創造性と行動力に驚かされていたので以前から話してみたいと思っていた。今回、店主が東京から大阪へ数日間だけ戻った時に取材する時間を作っていただいた。「KUCHE」横山店主にKRK直撃インタビュー!


- ご出身は?

「大阪の上新庄です。」

 

- ラーメン屋をするまでの経緯は?

「親父がとっかりⅡというラーメン屋をしていて、そこが忙しくて手伝い始めたのがラーメン屋に入ったきっかけでした。」

 

- とっかりⅡは私も何度か行きましたが、この地域ではとても人気だったお店ですね。お父様が昔からラーメン屋をしていたんですか?

「親父はフレンチのレストランを20年ほどしていたんですが、一緒にしていた方に不幸なことがあり、それ以来やる意欲がなくなってしまって店を手放したんです。親父の実家が正雀にあり、ある時に親父と僕が散歩していた時に偶然にラーメン屋(とっかり)を見つけたので食べてみたんです。偶然なんですが、それが親父が子供の時に食べていたラーメンだったみたいなんです。とっかりの先代は正雀でする前に吹田でお店をしていたようで、親父は小さい頃にそのお店で食べていたそうなんです。店で直接確認したわけでなく親父がその味を覚えていたんです。食べ終わって帰りの車の中で親父が『今のラーメン、どう思った?俺、ラーメン屋をしようかな?』と言い始めたんです。」

 

- いきなりですね。

「それで次の日に親父はとっかりに行って先代に弟子入りしたんです。僕がまだ中学校に入る頃の話ですね。その後、親父が上新庄でとっかりⅡを始めるという流れになります。」



- 横山さんも昔から飲食に興味を?

「親父がフレンチのコックをしていたので、僕も子供の時からお店を手伝ったりしていました。そして僕は大学に行かずに、親父のフレンチ時代の友人の紹介で尼崎のニューアルカイックホテルに宴会調理として入らせてもらいました。そこで一年ほど働いた後、総料理長の紹介で系列のイタリアレストランに入りました。」

 

- 順調にキャリアを築いていたんですね。

「僕が働いていたイタリアンレストランが5年ほどで閉店してしまったんです。次を探していた時に、先ほどの話に戻りますが、うちの親父から店(とっかりⅡ)が忙し過ぎるから手伝ってくれと頼まれ、とっかりⅡに入ることになりました。」

 

- ラーメンと関わり始めたんですね。

「当時は手伝う形で入ったのでラーメン屋をしたいとかは全く考えていませんでした。それから3年ほど手伝って店が落ち着いた頃に、親父から『俺がここを抜けるからお前がここをやれ』という話がありました。最初は断っていたんですが、親父が『ここでちゃんとやって、ある程度お金が貯まったら自分のやりたい店をしたらいい』と言ってくれたので継ぐことにしました。」

 

- お父様の元で3年間している内に気持ちの変化もあった?

「親父と一緒にしている3年間は自分の色は出さず、親父の作るラーメンのサポートをひたすらしていました。でもラーメンとスパゲティは似ているところがあって、僕のイタリアンの知識と融合させたら面白いお店ができるんじゃないかと思い始めていました。」

 

- 二代目としてとっかりⅡを継いでからは?

「親父が作るラーメンを好きで多くのお客様が来てくれていたので、自分が代を継いで味が落ちたとか言われたくなかったんです。親父から継いだ時に親父から『お前はこの店を三年でつぶす』と言われたんですよ。それで3年以上は絶対やるぞと思って、数年間は親父の味を守りひたすら塩ラーメンと味噌ラーメンを作っていました。」

 

- 昔からの味を守りつつ、自分の色も?

「親父からのラーメンを作り続けながらも、これは僕が作った味じゃないという気持ちがずっと心の中にあり面白くないと感じることもありました。そんな時に関西につけ麺ブームが来て、天神旗の大鶴さんがつけ麺の方へ動き始めて、僕もつけ麺に興味を持ちました。ある時に『うちの麺でつけ麺を作ってください!』と某社が営業で麺を持ってきたので、ちょうど店の賄いでバイトの子へつけ麺を作ってみたんです。適当にパパッと作ったらそのつけ麺がとても美味しかったんですよ。『つけ麺ってこんなに美味しいんだ?』と驚きました。その時に作ったのが"つけ麺 焦がし醤油"なんです。」

 

- 焦がし醤油の技法は?

「ニンニクがあって焦がすという技術は香りとかイタリアンと似ていて、その時にこの焦がし醤油をメニューとして出せるなと思いました。初めて自分で一から作ったメニューでした。それで親父から受け継いだメニューと、自分で作ったつけ麺をとっかりⅡの二枚看板としてやり始めたんです。」

 

- つけ麺へのお客様の反応は?

「美味しいと自信があったんですが、とっかりⅡは長くしてきたお店で常連さんは塩や味噌を注文する人がほとんどだったんです。それでどうしようかなと思っていた時に弟子が入ってくれたので、それなら僕はこのつけ麺で違う店をしてみようと決めました。」


2014年1月9日オープン


- それから次の店KUCHEへ繋がるんですね。

「とっかりⅡより広い場所を探していると不動産屋さんからこの場所を教えてもらいました。前は東南アジア系の店で、オーナーさんがここを作って半年ほどで国へ帰らないといけなくなったようで凄く綺麗なまま居抜きで入れたんです。」

 

- 屋号「KUCHE」の由来は?

「色々考えていたんですが、たまたま食べにきてくれたお客さんが『エッセンとかどう?』と教えてくれて、調べてみるとドイツ語で"食事をする"という意味なんです。気に入ったのでエッセンで検索してみると他にもエッセンという屋号の店が多くあったので、その代わりに何か良い言葉はないかと探していたらたまたまKUCHEという言葉を見つけたんです。ドイツ語で"台所"という意味でした。上新庄は僕の生まれ育った街なので、"上新庄の台所"という意味でいいなと思いました。」

 

- 何の店か分からない屋号に不安は?

「オープン当初は苦労しましたよ。散髪屋さんと間違われたり、おばちゃんが入ってきてコーヒーと言われたりとか(笑)。」

 

- オープン時の商品は?

「つけ麺 焦がし醤油を"つけ麺KURO"として看板商品で始めました。当時、つけ麺をメインにした店は珍しかったですね。つけ麺が苦手な人のためにらーめんNAGOMIも用意しました。後に創作麺として限定も始めました。」

 

- KUROと名付けた理由は?

「一番最初に作った時、焦がしニンニク醤油だったので真っ黒だったのでKUROと名付けました。それ以降、僕のイタリアンの知識とか加えてブラッシュアップしている内にいつの間にか今の茶色になりました。」

 

- KUROに合わせる麺も悩みましたか?

「とっかりⅡの頃に池村製麺所の方と仲良くなって、KUROに合う麺を打って欲しいと依頼しました。」

 

- どんな麺を希望をしたんですか?

「色々とつけ麺を食べてみて最後の方に飽きがくるのが多かったので、最後まで美味しく食べられる麺を作って欲しいとお願いしました。ツルッとしてシコッとした感じで、尚且つ喉越しがいいイメージを伝えました。何十回と試作を作ってもらい、KURO専用麺ができました。」

 

- 横山さんにとってつけ麺KUROの開発が大きなターニングポイントだったんですね。

「親父がフレンチをしていたので僕は小さい頃から手伝っていて、食に関してとても良いものを食べさせてもらっていたんです。僕は料理の世界に長くいて料理の世界しか知らないんです。そんな僕がつけ麺KURO(つけ麺焦がし醤油)ができた時、これと心中してもいいかなと感動したんです。」

 

- 上新庄でつけ麺KUROを看板にしてきて?

「僕はこのKUROに凄く自信があるので、多くの方に食べてもらってどういう評価をもらえるのかを確かめたいという気持ちがありました。しかしKUCHEを長くしていても僕の思うイメージとは違っていたんです。多くのお客さんが来てくれたんですが、まだまだ僕が満足できる状態ではないと思いました。それで違う場所でも試してみたいと思い始めました。」



- 次の展開が見えてきたきっかけは?

「ニューヨークジャパンフェスというラーメンの大会がアメリカであり、声をかけて頂いたので参加しました。3位という良い結果となり、その後にポップアップストア(特定の場所に期間限定で出店する店舗のこと)をアメリカで10日間したりもしました。その時にアメリカで仕入れた材料でつけ麺KUROを作れたんです。それでアメリカへ出店したいと思いが強くなり動き始めました。」

 

- アメリカ出店へ動き始めてからは?

「ある方に相談したところ、アメリカ出店のための職業ビザを取るためには日本での実績がもっと必要と教えてもらいました。1店舗だけでは厳しいとのことで、それで国内でもっと店を増やさないといけないと思いました。」


2023年4月4日オープン


- 国内で次の目的地は?

「友人の紹介で札幌市の物件が何度か決まりかけていたんですが、色んな事情でうまくいかなかったんです。そうこうしている内にうちのバイトの子から東京のシェアレストランについて教えてもらいました。間借り営業ですね。それでシェアレストランのサイトで幾つかの物件をピックアップして東京へ見に行きました。その中で条件が合う良い物件があったのでそこでしようと思って動き始めて、同時にその近くで自分の住む場所を知り合いの不動産屋さんに探してもらっていたんです。するとその間借りの物件のすぐ近くで店舗を見つけてくれたんです。それが僕の希望していた条件に合う凄く良い物件だったので、間借りはやめてそこでしようと決めました。」

 

- 間借りをキャンセルして?

「契約した店舗を作りながら、その間借りの場所でプレ営業を2ヶ月ほどしました。屋号は"間借りでKUCHE"でした。全然宣伝もしていなかったのでとても暇でしたね。」

 

- 屋号「Zweiter Läden」の由来は?

「当初は"TOKYO KUCHE"でしようとロゴなどを考えていたんですが、ある時、知り合いがうちの店へ食べにきた時にケーキを持ってきてくれて、そのケーキがめっちゃ美味しかったんです。つけ麺KUROが誕生した時の衝撃ほど美味しくて、そのケーキのお店がMERCER bis。気になったのでマーサービスの意味を調べてみると、マーサはフランス語で『〜のように』などの付属語で、ビスは『二つ目』という意味。かっこいい名前だなとMERCER bis自体を調べたら洋菓子屋だけでなくレストランもしている。うちもこんな店にしたいなと思って、東京の屋号も新たに考えてみようと思いました。それで色々調べていたら、ドイツ語で2号店という意味でZweiter Lädenという言葉が出てきました。Zweiterが2で、Lädenが小型店舗という意味。気に入ったので決めました。」

 

- Zweiter Lädenの商品は?

「東京に来た時に驚いたんですが、東京ではつけ麺KUROの味が出せなかったんです。水の関係か分かりませんがめっちゃ悩みました。何をどうしようがつけ麺KUROの味を出せなかったんです。」

 

- 看板の商品が出せなくなって??

「もちろん個人差はありますが、東京の方と関西の方の味覚は全然違っていて、東京の方の好む味はだだ辛かったんですよ。つけ麺KUROのスープを少しまろやかにして自家製の辣油をかけたラーメンKUROも作っていたんですが、ひょっとしたらこの味の方が好まれるかもと出していました。辛いと言う方もいましたが、美味いと言ってくれる方が増えてきました。そして家族客や地元の方が来てくれるようになってきてラーメンKUROでやっていこうと決めました。」

 

- 横山店主が最も大事にしていること?

「全てについてのバランスです。例えばなぜモスバーガーよりマクドナルドの方が有名なのかなと考えた時に、いくら良い素材を使って美味しいものを作ってもマクドナルドのブランド力には勝てない。だから僕がなんぼ良い食材を仕入れて美味しいと言っても、生産者さんの力なんです。只、僕が目利きをして調理しているだけ。それは僕の力じゃない。どんな食材にも良さがあるので、その良さを引き出すのが僕の技術と思って、一番大事なのは何かと考えたらバランス。生産者さんが美味しいものを持ってきてくれて、それを捌くのが技術。その技術で美味しさを伝えるのが大事にしていることです。生産者さんから授かったものを最大限に活かすことを大事にしています。」


◆店舗情報

KUCHE

大阪府大阪市東淀川区瑞光1-5-32

公式HP https://www.toxtukari2.jp/

https://x.com/kuche0110/

オープン日:2014年1月9日


Zweiter Läden

東京都新宿区西早稲田3-15-5 K2ビル 1F

https://x.com/Zweiter_Laden

instagram https://www.instagram.com/zweiter_laden/

オープン日:2023年4月4日

 (取材・文・写真 KRK 令和7年1月2日)