今回取材をするのは愛知県名古屋市の人気店「酒楽亭 空庵」。私が初めて食べに来たのが2015年3月。閉店時間ぎりぎりだったので最寄りの有松駅からとにかく走ったのをよく憶えている。閉店5分前に到着し、あの時食べた鴨ラーメンは美味しかったな~。そんな思い出があるお店が、某ラーメン本で2024年の東海地域の総合GPに選ばれたので、今が取材のタイミングとしては最高だと思い、昼営業後に時間を作って頂いた。「酒楽亭 空庵」冨田店主にKRK直撃インタビュー!
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ご出身は?
「この街です。緑区の有松です。」
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昔からラーメンは好きだったんですか?
「全国を食べ歩く感じではありませんが、ちょっと旅行に行けば地のラーメンを食べたりとかはしていました。」
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料理の世界へ入るきっかけは?
「16歳の頃に初めてアルバイトで入ったのが中華料理店でした。町中華って感じのお店でコックの仕事でした。それからいろんな職を転々としている時期もありましたが、23歳の頃に今の女房と結婚して子供ができたんです。」
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家族ができたんですね。
「もうフラフラしているわけにもいかないので、料理が得意だったので料理人になろうと思いました。それで当時、今池で一番流行っていた某居酒屋へ修行で入らせてもらいました。当時、"料理の鉄人"とかが流行っている頃で、僕の料理のイメージはそういう感じだったんですが、実際に厨房に入ってみたら冷凍食品を温めるだけだったんです。イメージと随分違ったので3ヶ月くらいでそのお店を辞めました。」
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辞めてからは?
「もう勢いで自分の店を始めました。」
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勢いでいきなりですか?
「早かったですね(笑)。ここから車で15分ほどの場所で、料理もまだあまりできないのに居酒屋をやり始めたんです。それが23歳の時でそれからずっと料理の仕事をしています。その居酒屋の時から屋号は"酒楽亭
空庵"です。」
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屋号「酒楽亭
空庵」の由来は?
「僕は仏教の高校に行っていて、色即是空という言葉がすごく好きだったんです。その当時は『宇宙の先はどうなっているの?』みたいな、そういう感じの捉え方を空という言葉にしていたんです。それで空を屋号につけたいと思い、空庵に決めました。」
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どんな居酒屋を?
「料理がいっぱいある居酒屋で、道場六三郎みたいな感じにやりたいと思っていました。独学で色んな勉強をしていて、その内、お客さんが『大将に全部任せるよ!』とか言ってくれるようになり、コースだけのお店になっていきました。その頃にこの場所へ移転してきたんです。」
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居酒屋としてこの場所へ移転してきたんですね。
「こっちへ来て鰻もやろうと思って、30歳頃に鰻と懐石の店として始めました。だけど40歳手前になって、自分は修行していないから自分がどういうレベルなのか分からないので何か試してみたいという気持ちになりました。自信もついてきたし、他所でも通用するのかなって思いました。」
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どこで試そうと?
「当時、中国が景気良かったので、この店を閉めて腕試しで中国へ行きました。中国語も話せないのに(笑)。」
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中国ではどうでしたか?
「たまたま入ったお店がとても有名な芸能人がしているお店でそこで料理長として働いていました。技術的なところもそうですが凄く重宝してもらったんです。今までに無かったような仕事、例えば高級クルーザーの展示会でクルーザーの中のバーカウンターで料理を作るとか、結婚式の貸切で120人の料理を作るとか、料理長として良い経験を積ませてもらいました。当初は半年くらいで日本へ戻るつもりでしたが、結局、3年ほどいました。楽しかったんです。」
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中国でお店をすることは考えなかったんですか?
「語学力もそこまで自信は無かったので、あまり考えなかったです。」
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日本に戻ってからは?
「しばらくは日本と中国を行き来していました。日本に戻ってお店をやろうと思ったんですが、パソコンが壊れていて以前のお客さん名簿がなくなってしまったんです。昔のお客さんに声をかけられなくなったので、中国帰りだし中国と言ったらラーメンだろうと思い、ラーメン屋をしようと思いました。中国にいる時は色んなラーメンがあるので毎日のようにラーメンを食べていましたからね。」
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そこでラーメンが登場するんですね。
「以前に懐石料理屋をしていた時に、僕が厨房に立っていたわけではないんですけど、ここからすぐ近くの場所でラーメン屋をしていたことがあるんです。屋号は"麺まる"でした。製麺機も置いて自家製麺でした。」
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そのお店ではどんなラーメンを?
「醤油ラーメンなんですけど、コンソメって卵の白身とミンチで雑味をとるんですけど、そのミンチの代わりに節を使って、凄い透き通った魚介系でした。」
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凄い凝ったラーメンで始めたんですね。
「お客さんの反応も良かったですよ。当時、ラーメンでコンソメの技法を入れるってあまり無かったですからね。白身ばかり使っているから黄身が余るので、黄身を湯煎して漬け卵にしてゼリー上になったのをラーメンに乗せたりしていました。凝り過ぎてあまりにもハードワークになってしまったので、任せていた店長が辞めちゃって一年半ほどで閉めないといけなくなりました。」
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ラーメンに未練があった?
「未練があったとかじゃありませんが、製麺機があるしラーメンをこっち(酒楽亭
空庵)でもしようかと思いました。」
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どんなラーメンで?
「中国では鴨がめちゃ安かったんですよ。豚よりも鶏が安くて、鶏よりも鴨が安かったんです。それで鴨を食べる機会が多くて、日本に帰ったら鴨で商売したらうまくいくんじゃないかなと思って、賄いで鴨ラーメンをよく作って食べていたんです。それで鴨でしようと思っていたんですが、日本に帰ってくると鴨が高かったんです。これは単価的に合わないと思い、ちょうど流行り始めていた鶏白湯ですることに決めました。鶏白湯をやりながらも鴨の仕入れ先をずっと探していて、安定した仕入れ先を見つけてから鴨ラーメンをメインにしました。」
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お店は順調でしたか?
「最初は僕だけのワンオペでしていたんですが、一人だと盛り付けている間に麺が伸びてしまうんです。当時はまだつけ麺もない時代で、具材が別に出てくるというシステムが世の中にあまり無かったんです。その時に具材だけ最初に出すことにして、その後にスープや麺を入れてラーメンをお出ししていました。それをやり始めたら珍しいということでメディアが取り上げてくれたんです。その流れで、今も前菜を出したりとかしているんです。」
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私が2015年に初めてこちらへ来た時からメニュー名が鴨はちらーめんでした。"鴨はち"とは?
「語呂がいいし、僕は字画を気にするんです。字画を見たら"鴨はち"が一番抜群だということで決めました。」
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それ以来、ずっと鴨をメインで?
「鴨をずっとしていたら鴨をやめられないような状態になってきました。コロナの時に鴨が全く入らなくて鴨をやめた時期があるんです。すると『鴨がない』ってお客さんが帰っていってしまうことがあったんです。」
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ラーメン専門になって気持ちの変化は?
「基本的には他店にラーメンを食べに行かないようにしました。見て真似ちゃうんですよね。それと最初に掲げたコンセプトを忠実に守っていこうと思っていました。」
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どんなコンセプトを?
「コンセプトは『孫が初任給でおじいちゃんを招待したくなるラーメン』です。60〜70歳くらいのお客さんも美味しかったと言えて、初任給の20歳くらいのお客さんも美味しいと思えるほど、幅広い世代に食べてもらえるラーメンを作ることです。だからやたらめったら唐辛子を使ったりとかせず、油も絶対に酸化しないようにして軽い油で提供しています。名古屋は麺でもコリコリしたのが人気なんですが、おじいさんとかだとコリコリしたのを食べると消化不良で胃が痛くなるんですよね。だから、しっかり茹っているんだけどちゃんと歯応えのある麺をどうにか作りたいと取り組んでいます。」
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最初から自家製麺で?
「オープン時、約1ヶ月ほど製麺所から取っていましたが全然自分の作りたいラーメンと合わなかったんです。製麺機もあったのでやっぱり自家製麺でいこうと思いました。」
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ラーメン専門になっても屋号はそのままなのは?
「若い時に掲げた屋号だったので思い入れがあるんです。」
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今回、ラーメン本の総合GPに選ばれましたね。おめでとうございます。
「とても嬉しいですが、まだまだだなと思っています。もっと美味しくしたいなという気持ちの方が強いですね。みんながビックリするようなラーメンを作りたいです。」
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もうすぐ新ブランド店も始めるんですね。
「構想は2年前くらいからありました。僕は韓ドラにハマっていまして、韓ドラのヒロインはいつもソルロンタンを食べているんです。ソルロンタンって牛肉の牛スープなんですけど、自分で作ってみたら美味しかったんです。そうこうしている内に『ソルロンタンでお店をしたいな』と思い始めて、2年前から物件を探していたんです。」
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ソルロンタンを空庵でも出していたんですか?
「以前に空庵で二毛作営業として昼は鴨ラーメン、夜は水餃子のお店をしていたんです。夜はラーメンを出していなかったんですが、でもラーメンが無いとお客さんが怒るんですよ(笑)。それでちょうどソルロンタンを開発している時期だったので夜に出したりしていました。常連さん達にはソルロンタンでお店をしたいと言っていました。」
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屋号「麺工房
うしっし」の由来は?
「当初は牛と"ししし"と笑っているのをかけて"うっしっし"でしようと思っていたんですが、うっしっしだと字画が悪かったので"うしっし"にしました。」
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ソルロンタン専門店なんですね。
「はい。構想を練っているところなんですが6種類の発酵調味料の味変などを考えています。とりあえずはここをしばらく閉めて全員で行く予定です。数ヶ月かけてしっかり立ち上げてからこっちへ戻ってこようと思っています。」
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今後の予定は?
「うしっしががっちり安定して戻ってきたら、空庵の商品にもう少し凝るというか手を加えたいですね。うちは今、前菜とかこういう珍しいものに頼っている部分が大きいんです。でもそういうので話題になるだけではなく、もっと真髄の部分を大事にしていきたいと考えています。最近釣りに行って釣った宗田鰹を自分で節にするとかしているんです。業者だと何トンとか大量に作るわけじゃないですか。でも僕が節を作っても10kg程度なので凄く丁寧に作れるのでめちゃめちゃ美味いんですよ。干し海老とか作ったらひっくり返るほど美味いんです。できればそっちの方向(全て手作り)へ振りたいんですけどなかなか商売にするのは難しそうですね。」
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冨田店主が一番大事にしていることは?
「僕は子供が生まれると同時に料理を始めているので、子供に胸を張れるような料理人でありたいと思っています。『ここは企業秘密です』とかよくありますが、僕は胸を張って『どうぞ全てを見てください』と言える料理人でありたいと思っています。」
◆店舗情報
酒楽亭 空庵
愛知県名古屋市緑区武路町122
X https://x.com/LzDYZzoGvrgrzM3
instagram https://www.instagram.com/shurakutei.kuuan/
オープン日:2013年9月30日
(取材・文・写真 KRK 令和6年12月27日)