今回取材をするのは大阪の名店「麺哲」 。2003年に豊中で麺哲を創業して以来、自家製麺など色んな面で大阪ラーメンシーンを牽引し、後に続く多くのラーメン店主たちに多大な影響を与えているお店だ。名店の創業者 庄司店主から「綿麺の記事を拝見して、ワタシの事どうこうよりも、関西のラーメン黎明期について解説がいるのでは」と声をかけて頂いたので今回の取材が実現した。場所は大阪麺哲。じっくり話をさせていただくのは初めてなのでワクワクする。「麺哲」庄司店主にKRK直撃インタビュー!
- ご出身は?
「静岡県東部、富士山と箱根山の間辺りです。実家は料理屋をしていました。僕は物心ついた時から料理に関わっていたので生粋の料理人だと自負しています。」
- 子供の時から何かを作ったりしていたんですか?
「ガキの頃、母親が稲庭うどんをよく作ってくれていたんです。ウチの母親は横着で朝に麺を茹でて水で締めて冷蔵庫に入れておくんですよ。それで晩になって食べる時にその麺を水で洗って出していたんです。そういうのを知らないで食べていたので、僕は稲庭うどんって大して美味くないなと思っていたんです。そんな中で、母親の実家が秋田なので、秋田の親戚の家へ行った時におばちゃんが稲庭うどんを作ってくれたんです。全く期待していなかったんですが、食べてみたらそれがめっちゃ美味しかったんですよ。『これ、家で食べているのと何が違うねん?』と驚いて、母親に『ウチの稲庭うどんには何をしているの?』と聞いたら、朝に麺を茹でてとか言っていて、その時に僕は麺に目覚めたんですよ。」
- 麺の大事さを理解した出来事だったんですね。
「小学校4年生の頃には自分で年越し蕎麦を打ったんです。パスタマシーンみたいなのを使ったんですが、自分で打った蕎麦が美味くて『あ〜、蕎麦ってこんなに美味しいんだな』と感動していたんですが、その蕎麦を夜になって再び食べたら美味しくなかったんです。その時にこういうのは時間が経つと美味しくなくなることを理解しました。それ以外でも、韓国料理屋で冷麺を食べて『こういうコシをラーメンの麺で出せないのかな?』とか考えたりもしていました。」
- ラーメンを作ったりもしていたんですか?
「ちょうどその頃に三島の調理師専門学校で主任をしていた人がウチのお店へ入って来ることになり、ウチも新たに中華料理部門を立ち上げたんです。凄く真面目な人でした。その店で195円ラーメンというのを出して、山芋を練り込んだ麺を使ったりしていました。美味しい麺でしたよ。僕はまだ10歳だったんですがその店を手伝っていて、ラーメンを作ることなどを経験させてもらっていました。だから僕は包丁を持つ前に平ざるを持っていたんです。」
- 大阪へ来るきっかけは?
「きっちり料理の勉強をしたいと思って大阪へ来ました。当時、この大阪麺哲の場所で営業していた寿司屋(縄寿司)へアルバイトで修行に入り、同時に阿倍野の辻調理師専門学校に通い始めました。」
- 東京じゃなく大阪を選んだのは?
「僕は料理では東京より大阪の方が先進地域だと思っていたので大阪を選びました。最初のお店の後、次は近くの芝苑という料亭で働いていました。」
- ラーメン屋をするまでの経緯は?
「僕の専門は関西料理なので和食ですが、26歳の頃、親父と喧嘩していて、その時に僕が関西料理の店をしたとしても誰も相手にしてくれないと思い、何をしようか悩みました。ラーメンも好きだし肉も魚も好き。当時デフレでいろんな物の値段が下がっていた時にラーメンだけが上がっていたんです。
そしてウチの実家から車で1時間ほどの鵠沼(神奈川県)という所に"支那そばや"というお店があったんですが、隣の隣の町でしたからよく食べに行っていました。支那そばやの調理場の雰囲気が僕の大阪の修行店(芝苑)と凄く似ていたんです。そして"支那そばや"の心を込めたラーメンを食べて、『ラーメンでもこういうことができるんだな』と思いました。」
- ラーメン屋に興味を持ってからは?
「元々は実家でラーメン屋をしようと思っていたんですが、父親と喧嘩していたので保証人の判を押してくれなかったんです。その時に(大阪の修行時代の)兄弟子からラーメン屋の仕事の話が来たんです。知り合いの焼き鳥屋(秀)のオーナーさんがリニューアルしてラーメン屋をしたいとのことでした。それで家出をして大阪へ来てその焼き鳥屋さんと"秀次郎"というラーメン屋を2001年にオープンしました。」
- 初めてのラーメン屋ではどんなラーメンを?
「そのオーナーさんがあっさりしていて沢山のネギをのせたラーメンがいいと希望していたんです。当時の大阪は薩摩っ子や金龍などのライト豚骨が主流でしたが、あっさり系の揚子江とかも受け入れられていたのでいけるだろうと思っていました。最初は醤油だけだったんですけど、お客さんが塩ラーメンも食べたいという方が多かったので塩もメニューに加えました。美味しい出汁と美味しい麺でやれば塩ラーメンは普通に美味しくなると思っていました。それで考えると醤油や味噌は難しいですよね。そして僕がどこに特徴を出そうと思ったかというと自家製麺でした。」
- その時から自家製麺で?
「僕は他人の麺で商売をしたことは一度も無いです。最初から自家製麺でやろうと思っていました。その店からは方向性の違いで1年ほどで離れました。」
- 最初のお店を離れてからは?
「2002年〜2003年前半までは熊五郎(株式会社熊五郎)の顧問として京都や大阪、兵庫の多くの系列店と関わっていました。そして知り合いの紹介で豊中の物件と出会い、2003年10月に麺哲を始めることになりました。」
- 豊中麺哲を立ち上げる時に意識したことは?
「やっぱり麺ですよね。とにかく美味い麺を使ったラーメンが一番美味いんだと思っていますから。」
- 屋号「麺哲」の由来は?
「僕が最初にラーメンを志した時、静岡の実家のカラオケボックスでラーメンを作っていたんです。しばらくするとフライドポテトよりラーメンの注文の方が増えてきたんです。それが自信になりましたね。その時のラーメンの研究で一番食べてもらったのが哲也という僕の幼馴染なんです。その友人の名前から"哲"を取って麺哲に決めました。」
- 製麺は独学で??
「麺に関しては師匠はいないんですけど、あえて師匠を挙げるとしたら"支那そばや"佐野さんと、麺に関しては"とっかり(大阪)"の親父(先代)です。とっかりの親父から製麺は口でだけでしたがカウンターで説教されながらいろいろと教えてもらっていました。技術よりも心意気ですね。今でこそ僕は全然違う麺を打っていますけど、昔は『いずれ製麺を突き進めていけばとっかりみたいな麺になるのかな?』と思っていたことがあります。」
- 麺哲では初期から大型の製麺機を使っておられたと聞いたことがあります。
「熊五郎の頃から真空ミキサーを使い始めてめっちゃ良かったんです。僕からしたら真空ミキサーは憧れだけどめっちゃ高いから使ったことなかったんですが、熊五郎はお金があったので真空ミキサーが3台もあったんですよ。僕が麺哲をする時にはもう真空からレベルを落とすことはできないので、真空ミキサーを購入することにしました。」
- 真空ミキサーによる製麺の利点は?
「真空ミキサーというのはエイジングミキサーなんですよ。よく勘違いされるのはコシを出すために無理矢理に空気を抜いて混ぜるという人がいるんですけどそれは全くの間違い。正しいのは、減圧しながらの攪拌によって粉と水との密度を増して小麦中のアミノ酸(アミラーゼ・プロテアーゼ)をより育成させられるということです。その上で製麺するので通常より使えるスパンが早くて長いんです。」
- 色んな新しい技術が導入されている現代でも、真空ミキサーを使うのがベスト?
「色々な考え方があると思うんですが、ミキシングの工程に限って言えば真空ミキサーに勝るものはないと思います。真空をかけることによって小麦粉の旨さが引き立てられるし、製麺のしやすさにも繋がるので効率化にもなります。」
- 店舗展開もされていますが、それぞれの店の違いなど紹介してもらえますか?
「大阪麺哲は昆布出汁が最高に出る大阪の水(軟水)がありますから、この場所でするにあたって僕が修行していた頃に教わった大阪の味を明確に出そうと思いました。麺に関しては、大阪の人ってやっぱりはんなりとしたしなやかさを持ちながらも細い麺が好まれると僕は思っています。
逆に言うと、豊中麺哲では大阪とか捉われずに、僕が最高に美味いと思ったラーメンを出そうと思いました。」
- 麺野郎(現在休業中)では?
「僕が美味いと思えば何でも出そうというお店。だから寿司も出していましたから。僕が美味いものを何でも具体化できるような調理場を作りました。それが上にキャパオーバーになって閉めることになってしまいましたがね。」
- 地域によっては最近流行っている、注文の度に麺を打つスタイルはどう思っていますか?
「店によっては紙を切る裁断機のようなうどん切りで麺を切っていますよね。あれは切ったと僕は言わないと思うんです。多少は切れると思いますが、所謂潰しているんですよ。僕は自家製麺とかしている店がそういうのをしているのを見るとがっかりします。美味い、まずいを言う前にがっかりします。包丁で切るべきだと思う。裁断機みたいなので切っても"手打ち"とは言わないと思っています。」
- 小麦粉への拘りは?
「僕は粉といえばプライムハードです。佐野さんのお店へ行く前の話なんですが、1992年くらいに出版されたラーメンや中華料理の技術本の裏にプライムハードの粉が載っていたんです。その雑誌にあった小麦粉で麺を打った時には衝撃を受けました。恐らくこの粉を一生使っていけるなと思いました。」
- 麺哲は肉も他店で味わえない美味さがありますよね。
「基本的にはあまり変わらないと思うんですけど、歯ごたえがある、触感のある豚が好みです。逆にスカスカに柔らかい、出汁ガラに味付けしたような豚はあまり好みでなく、例外は東坡肉のような角煮タイプです。それと、出来る限り切り立てのチャーシューを出すようにしています。切り立てが大事だと思いますし、温度管理も徹底しています。これは当たり前の話です。」
- 長くラーメン屋をしていて、庄司さんが同志と思っているお店は?
「やっぱり同じ頃にラーメン屋を始めた輝さん(麺や輝)とか天神旗さん、カドヤ食堂さん、洛二神さん、龍旗信さんですね。輝の森さんとはラーメン屋をする前に会って言葉を交わした事があるんです。僕が実家でラーメンの研究をしていた頃、名古屋コーチンの出汁を引いていまして、名古屋コーチンの販売店から"支那そばや"でセミナーするからと聞いて参加したんです。そこに輝の森さんがいたんですよ。その数年後に僕が輝に食べに行った時に、『あの時、支那そばやにいたよね?』と言われたんです(笑)。僕はその時に言われて思い出しましたね(笑)。僕のことを寿司屋とか思っていたみたいですけど(笑)。」
- 麺哲から多くのお弟子さんを輩出されていますが、独立の判断基準とかはあるんですか?
「基本的には物件ですね。僕との信頼関係は師匠と弟子だからあって当たり前だから置いといて、後の判断基準は物件だけです。弟子が見つけてきた物件を見に行って『ここでならいいよ』とか判断します。」
- お弟子さんの独立の際、商品に関してアドバイスとかもするんですか?
「一応決まりを作ってはいますが、大体自由ですよ。只、変な仕事をするなというのはあります。極力大きな鍋で茹でるとかですね。」
- 大きな鍋とは??
「どう考えても麺というのは小さいところでするよりは大きな鍋がいい。それと同時に網のテボだと麺の表面がや擦れてしまい釜の中で粉々になるんですよね。ラーメンの出汁が冷めたら味噌汁の白いのみたいなのが寄ってくるんですがそれが粉なんです。それは僕の美学に反するんです。お出汁をいい状態で飲んで欲しいんです。麺のカスみたいなのが出汁の味と思われたくないですからね。もしテボを使うなら大阪麺哲でも替玉やつけ麺等で使っているパンチングテボ。外側がや擦れているけど内側は加工されていて麺が傷まないテボがオススメです。」
- 麺哲には数々の限定の名作がありますが、一番思い入れがあるのは?
「全部思い入れがありますけど、最も思い入れがあるのは広島ですね。僕が初めて出した限定です。蕎麦屋の隠語で牡蠣蕎麦のことをヒロシマと通称するんです。僕が服部天神の蕎麦屋で牡蠣の蕎麦を注文した時に、女将が調理場の方へ『ヒロシマ一杯』と通すんです。その時に『広島いいな。俺も広島を作ろう』と思ったんですよ。」
- "盛り"や"山"なども人気ですよね。
「盛りは蕎麦を模倣として、蕎麦より扱いがよく、蕎麦より柔軟性があって色んな意味で蕎麦を超えるように打ったんだけど、まだまだ未だに超えられない、蕎麦に少しは近づけたんじゃないかなというのが盛りです。盛りという名前は知り合いの方に『盛りそばと盛り、どっちがいい?』と聞いたら盛りと言ったので盛りにしました。」
- 山はビジュアル面でも話題になることが多いですね。
「先程の蕎麦屋さんの話になりますけど、山芋のぶっかけ蕎麦がありまして、『やま一杯』と通すんですよ。それなら俺も山を作ろうと思ったんです。豊中では盛りが人気ですが山は定着しませんでしたね。山はこの店(大阪麺哲)では定着しました。」
- 麺哲では「おまかせ」もあるんですね?
「"おまかせ"はどんな飲食店にもあって然るべきなんですよ。あなたを信頼しているから美味いものを食べさせてよということなんです。本来ならおまかせはありませんというのは飲食店としては間違っているんです。」
- おまかせを受け入れられるのは、揃えている食材への自信も大きく関係するんでしょうか?
「大事なのはそこで、僕は料理人のスキルの半分は食材の仕入れのルートだと思っているんです。市場との仲買との付き合いとか、どこにどんなものが売っているかとそういうのもスキル。大事なのは美味いものを仕入れられるかだと思っています。日本で料理する以上は鮮魚、魚を扱えるというのは当然のスキルなんです。料理人としては知っておかないといけないんです。僕の場合はラーメンも料理と捉えているので、やっつけ仕事では駄目なんです。」
- ラーメン、つけ麺、まぜそばなどいろいろありますが、庄司さんの考えるメインは?
「ラーメンですね。ラーメン屋としての本分ですから永遠の目標です。ラーメンに生かされて、ラーメンに魅了されてラーメンを作っているわけですから、そこが目標であり、辿りつかないけど永遠に追い求める到達点だと思っています。」
- 弟子の店以外で、庄司さんの気になるお店とかあるんですか?
「気になる店なら神戸のたまやさん(中華そば たまや)。おうどん屋さんがラーメンを始めたんですけど、北関東系の中華そばで美味しいです。あの中華そばはある意味、関西のこれからに刺激を与えられるラーメンだと思うんです。」
- 庄司さんが以前にトレードマークのように着ておられた赤シャツの理由は?
「熊五郎に入った時に社長から『お前、赤が似合うから赤を着とけ』と言われたんですよ。赤はお前だけやからって。それでずっと赤を着ていたんです(笑)」
- 最近はずっと大阪麺哲にいらっしゃるんですか?
「今は人がいないから大阪麺哲に入っています。人が揃ったら麺野郎を復活するつもりです。」
- 庄司さんが一番大事にしていることは?
「自分の店の麺をできるだけ美味しい状態で食べてもらう。僕にとってラーメンとはそういうことです。」
◆店舗情報
大阪麺哲
大阪府大阪市北区曾根崎2-10-27
https://www.instagram.com/mentetsu_toyonaka_oosaka/
オープン日:2014年7月26日
麺哲 豊中
大阪府豊中市岡上の町2-2-6
オープン日:2003年10月16日
(取材・文・写真 KRK 令和6年12月23日)