2023年9月1日オープン!
今回取材をするのは大阪市淀川区で2023年9月1日にオープンする「麺屋電龍」。加西市へ移転のため閉店した名店「桐麺」の跡地で、桐麺を長く支えてきた田中氏が独立開業する。当サイトでは約3年前に桐麺 製麺師として田中氏に取材したが、こういう流れになるとは予想していなかったので驚いた!オープン直前の忙しい時期に取材する時間を作っていただいた。「麺屋電龍」田中店主にKRK直撃インタビュー!
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◆今回の記事
- 独立に動き始めたのはいつ頃から?
「昨年の11月初旬に大将(桐谷店主)から話があると呼ばれたんです。その時にちょうど若いスタッフが1人辞めると聞いていたので、僕が十三店へ入るという内容なんだろうなと思っていたんです。でも話をしてみると『桐麺を兵庫県加西市へ移転することに決めました』という内容だったんです。何の前触れもなく、その時に初めて聞いたので驚きましたね。」
- その時の田中さんの気持ちは?
「独立志望とか何も無かった頃だったので戸惑いました。『あ〜、はい』としか言葉が出なかったです。」
- その時に独立の話も?
「はい。その時に大将から『電さんにやる気があるなら、三津屋(本店)か十三(十三店)の場所を引き継いで独立しませんか?』と聞かれました。すぐには決められないので、『嫁に相談してから返事します』と答えました。」
- 突然の話でかなり悩んだんじゃないですか?
「僕は返事するのにあまり時間をかけるのが好きじゃないタイプなんです。あまり時間かけると心が揺らいだりしますから。そして、その夜に嫁へ相談している時に、自分でやってみたいなという気持ちが芽生えたんです。」
- 奥様の反応は?
「嫁が『あなたはどうしたいの?』と聞いてきたので、僕は『やってみたい!』と答えました。それから『独立させてください!』と大将に気持ちを伝えました。」
- その時に十三店じゃなく、三津屋本店の場所を選んだ理由は?
「僕が常連としてずっと通っていたのが三津屋(本店)だったので、思い入れがあるのは三津屋なのでこちらでお願いしました。」
- 屋号「麺屋電龍」の由来は?
「お相撲さん時代の僕の四股名が『電龍』。16歳でお相撲さんになって、長く電龍という名前で生きてきたので、思い入れが強過ぎるほどあります。」
- 麺屋電龍で提供する商品は?
「僕は桐麺の鶏白湯と麺が好きで桐麺に入ったので、鶏白湯一択で迷わなかったです。麺も自分で自家製麺。桐麺で色んな勉強をさせてもらってきて、やっぱりそれしか無いですよねという形です。」
- 商品の紹介をお願いします。
「鶏白湯ラーメンの醤油と塩。カレーらーめん。つけ麺は2種類で、こってりつけめん(鶏白湯の醤油つけ麺)ともう一つがあっさりつけ麺(清湯のあっさりした醤油つけ麺)。魚のラーメンも考えているんですがまだ完成していません。」
- 桐麺で多くの限定を手掛けてきた田中さんなので限定も期待ですね。
「僕が作った限定、ビーフシチューつけ麺、辛いつけ麺、担々麺とかは自店でも引き続き出していきます。新しい限定にもチャレンジしていきたいと思っています。」
- 田中さんと言えば製麺師もしていたので「麺」というイメージです。当時、桐麺に入ってから「麺をやりたい」と言った動機は何だったんですか?
「やっぱり麺が美味しかったからです。どうやって打っているのか知りたかったんです。好奇心みたいなところから入ったんだと思います。桐麺の常連だった頃に『麺が美味いな!』とずっと言いながら通っていましたから。」
- 麺屋電龍の麺はどういう方向性で?
「最初は『桐麺のパチモン(真似)やな』と言われたら嬉しいと思っています。桐麺と同じくらい僕の麺が美味しいんだなということになりますから。それから少しずつ自分なりの麺を作っていき、『これが麺屋電龍の麺なんだな!』といつか言ってもらえるようになったらいいと思っています。」
- 相撲に掛けた名物メニューの予定は?
「限定でちゃんこ的なものをしようかと考えています。」
- 大阪屈指の人気店だった桐麺から離れて、自分ですることへの不安は?
「不安とプレッシャーがもちろんありますが、『どこまで自分でできるのかな?』とワクワクする気持ちもあります。」
- 麺屋電龍として大事にしていきたいことは?
「大事にしていきたいところは麺、教えを守っていきたいのも麺です。麺が魂みたいなものです。師匠に麺が美味しいと言ってもらえたら嬉しいですね。」
- 9月1日にいよいよオープンです。今の気持ちは?
「桐麺に入ってよかったと思います。自分が選んだ道は間違っていなかったと思っています。」
◆店舗情報
麺屋電龍
大阪府大阪市淀川区三津屋北3-1-15 サンロードノナカ1F
twitter:https://twitter.com/dendenkirato
オープン日:2023年9月1日オープン
(取材・文・写真 KRK 令和5年8月24日)