2022年10月29日オープン
ラーメン熱が高まって盛り上がってきている長野ラーメンシーンに、2022年10月29日に新たな注目店が参戦する。屋号は「小麦そば 池」。店主は東京の名店「饗 くろ㐂」の二番弟子だ。今回、長野屈指のラーメン激戦区である松本市でオープン準備をしている大池店主にオープン前取材をさせて頂いた。「小麦そば 池」大池店主にKRK直撃インタビュー!
- ご出身は?
「長野県松本市です。」
- 元々、ラーメンは好きだったんですか?
「ラーメンを食べるのは昔から好きでしたね。高校生の頃にはラーメン好きな友達と一緒に、長野県内のいろんな店へ食べに行っていました。その友達は高校を中退してラーメン屋さんになって、今もラーメン屋で働いています。その友達の影響で僕も高校の時から"佐蔵"というお店でアルバイトを始めたんですが、その店の人達がみんな良い人で凄く楽しかったんです。その時はまだ自分で店をしたいとかは考えていなかったですね。」
- 飲食業に興味を持ち始めたのは?
「高校の卒業が迫ってきて進路のことを考える時期に、飲食店をやりたいと思い始めました。でも僕の学校は進学校だったので、高校卒業後に就職する人なんて1人もいなかったんです。飲食店をやりたいという気持ちはあったんですけど迷いました。それで1年間、浪人したんです。大学に行くという選択肢は、僕の中にはもうありませんでした。」
- 浪人している時の気持ちは?
「飲食をやるのか、他の仕事をやるか迷っていました。その時の僕は"やりたいこと(飲食)をやる"よりも、専門的な何かを得て専門職をやる方が将来的に確実だと思ったんです。10年間、20年間、30年間、ずっと無くならない仕事。そういう道を選んでみようと思って、それで僕が選んだのは看護師でした。それで看護学校に入りました。」
- 全然違う世界に入ったんですね。
「その時もラーメン屋さんでアルバイトしていたんですが、看護学校がとても楽しかったんです。実習とかも始まって『いい仕事だなー』と思っていました。その時の僕にとっては"やるべき仕事"は看護師だったんですが、ラーメン屋をやりたい気持ちもずっとありました。それで看護師の資格を取ってからまずはラーメン屋をしようと考えたんですが、でも資格とって3年間は病院で働かないといけないので、そこからラーメン屋さんで修行して、自分の店を開いてと考えると『遅いな〜』と思いました。そして看護師の実習が楽しかったので、『このままだとラーメン屋をやれなくなるな』という危機感を持ち始めていました。」
- どっちも楽しい、どっちもやりたい、となってきたんですね。
「その時に人生を振り返ってみると、僕の今までの生き方って言い訳をつけて大多数の意見の方へ行ってしまっていたんです。"やりたいこと"じゃなくて、"やった方がいいだろう"ということを優先してしまう人生だったんです。」
- 自分の道を決めたきっかけは?
「その時、僕は南松本にある"ちょもらんま"という魚介系のラーメン屋で働いていて、そこの社長が40歳になったらラーメン屋をやめると言っていたんです。僕がラーメン屋をやりたいのも知っていたので、『俺の店をもらってくれないか?』と言ってくれたんです。僕なりにお店のことを色々調べて全然生活できると思ったので、お店をもらうことに決めました。もう『今しかないな!』と決断して、看護師学校も辞めました。」
- 遂にラーメン屋を始めて、どうでしたか?
「その当時でその店はもう10年目くらいで、それなりに知名度もあって人気もあったんです。そこで実際にラーメンを作るのは楽しかったですね。確かに楽しかったんですが、でも前の店主が作ったお店で、僕はそのままをやっているだけ。僕のラーメンでも無いんですよね。それで試作を始めたんです。清湯や白湯、タレとかも作り方を知らない頃だったので、ラーメン教本とか読んでとにかく色んなラーメンを作り続けていました。それが楽しくて、その時に『ラーメン屋を選んでよかった』と思えたんです。僕は趣味が多くて車も服も好きだったんですけど、どれも深掘りをするほどじゃなかったんです。でもラーメンだけは作るのが凄く楽しくてのめり込んでいました。でも何かが楽しくなかったんですよね。」
- 何かとは?
「他の人が作ってきたお店に対して、どうしても思い入れが持てなかったんです。それで自分のお店が持ちたいと思い始めました。それが21歳の頃ですね。そこから更に試作を作り続けていました。」
- 長野県外へ修行に行くきっかけは?
「ある時、東京にたまたま友達と遊びに行っていたんです。その時に東京のラーメン店を何軒か行って、どの店もメチャメチャ美味しかったんですよ。その頃、東京ではイタリアンや和食からラーメン屋に転向してくる人の店が増えてきていたんです。そういう人達の作るラーメンは美味しいし、見た目も綺麗なんです。その時に『こういう人達が増えてくるとヤバいな〜』と思ったんです。こういう流れが何年後かに長野へ来たら、僕は戦う武器が何もないと思いました。このまま楽しいとかのレベルでラーメン屋をしていると、確実に僕の店は生き残れない。これはマズイなと考えました。」
- 危機感を持ってからは?
「それから東京の店を色々食べ歩くようになりました。ある日、長野への帰りの電車まで時間があったので、近くの店を調べてみたら営業中の有名店があったんです。それで行ってみたらメニューに塩ラーメンしか無かったんです。当時の僕は塩ラーメンを一番食べなかったんですよ(笑)。それで食べてみたら凄い美味しくて驚いたんです。」
- 初めて美味いと思える塩と出会ったんですね。
「はい。それで帰りの電車の中で『あのレベルの塩ラーメンを長野で出したら凄いことになるだろうな』と考えていました。それで次に東京へ行く時に、今回は塩ラーメンのお店を食べ歩いてみようと思って、色々と調べたら"くろ㐂"(饗 くろ㐂)というお店が出てきたんです。」
- くろ㐂との出会いですね。
「その時に初めて"くろ㐂"を知ったんです。『秋葉原か〜。行ったことないな』とか思いながら行ってみたら、お客さんが凄い並んでいたんです。そしてくろ㐂の塩ラーメンを食べたら、もう衝撃的に美味しかったんです。お店の雰囲気も当時はあまり無かった感じだったんですよね。何か怖そうな人が作っているし、ラーメンを食べる緊張感も凄い。とにかく美味しいし、目の前で作っている人達の動きが全て見える。そして僕がご飯物を注文した時に大将が『こうやって食べると美味しいよ』と教えてくれたんです。よく見ていたら他のお客様にも細かい目配り、気配りが些れていて、常連さんもいっぱいいたんです。凄いお店だなと衝撃を受けました。」
- 衝撃を受けてから?
「それから2ヶ月間ほど、長野から毎週食べに行っていました。限定も全てが美味しくて、盛り付けとか食材とか、当時のラーメン屋では考えられないようなレベル。例えば『これ、麺をパスタ麺に変えたらパスタだよ』とか思う商品は全く無くて、どれもしっかりラーメンなんですよね。それで『もうここで働きたい』と思いました。それで連絡して面接したんですが先に入る人が決まっていたので一度落ちたんです。その後にまた人が空いたので、大将から電話があって入れてもらえることになりました。それで長野の"ちょもらんま"は自分でやりたいと言ってくれた従業員に譲って、くろ㐂に入りました。」
- くろ㐂では何年ほど?
「4年ほどお世話になりました。イチから多くのことを学ばせて頂きました。大将も言っていますが、過去の弟子の中で僕が一番怒られています(笑)。逃げたいと毎日考えていた時期もありましたよ(笑)。」
- 最後まで続けられた理由は?
「ラーメンを真剣にやりたいという気持ちもあったし、自分でやろうと思って入った看護学校を途中でやめたことをずっと引き摺っていたんです。『今回は最後まで絶対にやる』と強く思っていました。毎日必死でしたよ。未だに僕の人生で誇りに思えることは、くろ㐂で最後までできたということです。」
- 自店は長野ですると決めていたんですか?
「入る時から決めていました。長野が好きなんです。それに東京でラーメン屋をしている人達はとんでもない人達ばかりなので、そこで戦う技術も知識も僕にはまだ無い。何年後かにやりたいと思えば東京でやることもあるかもしれませんが、今は大好きな長野でやりたいんです。」
- 自店で出すラーメンは?
「修行中は長野でどうするかとか考える余裕が全く無かったですね。でも僕が"くろ㐂"で受けたのと同じ感動を、長野の皆さんにも味わってもらいたいと考えていました。」
- くろ㐂から離れてから?
「長野に戻ってきて物件を探し始めたんですが、希望の条件の物件が全く見つからなかったんですよね。それで岐阜の㐂色さん(くろ㐂 一番弟子のお店)で働かせてもらいながら、長野の物件を探していました。」
- 4か月だけ営業した「小麦そば 大渡」は?
「岐阜にいる時に、僕の友達が共同でラーメン屋をしようと言ってきたんです。僕が商品作りを担当して、友達が経営面をするという話でした。それから池田町(北安曇野郡)の物件が見つかり、友達との共同経営のお店『小麦そば 大渡』を始めました。」
- そのお店では?
「オープン時から多くのお客様で賑わっていたお店なんですが、友達との方向性の違いがあり、4か月ほどで共同経営から離れて、自分の店へ動くことに決めました。」
- 松本市のこの物件との出会いは?
「僕が自店の物件を探し始めたタイミングで、この場所を撤退するお店の方から話をもらって、ここに決めました。」
- 屋号「小麦そば 池」の由来は?
「僕の名前、大池からです。友達から池と呼ばれることは無かったんですが、昔働いていた佐蔵の店長が"池ちゃん"と呼んでくれていたし、くろ㐂でも"池"と呼ばれていたんです。」
- 小麦そばとは?
「長野はまだ自家製麺のお店が少ないんです。小麦そばと屋号に付けることによって、小麦に意識がいく形にしたかったんです。ラーメンを食べる時に、麺を一番楽しんでもらえる。その麺を食べる時に、意識して食べることによって何かを感じて欲しいんです。」
- お店のロゴの拘りについても教えて下さい。
「くろ㐂の"㐂"は7(七)が3つじゃないですか!だからロゴにそれを入れて欲しいとリクエストしました。七角形で一つ目。小麦が7粒で二つ目。そして小麦の中が七角形で三つ目になります。」
- 「小麦そば 池」の商品紹介をお願いします。
「塩は鶏と魚介のダブルスープ。甲州地鶏、土佐ジロー、黒さつま鶏、豚も少し入れたスープと、9種類くらいの乾物を使ったスープ。その2つを別々にとって、営業前に合わせています。鶏脂は黒さつま鶏。麺は自家製麺で、手揉み麺と細麺から選べます。」
- 醤油は?
「醤油はスープが鴨なんです。醤油と塩、違うスープだし、具材も全て違うので仕込みが大変なんですよ(笑)。」
- 拘りの丼も紹介して下さい。
「京都の陶あん様に僕がデザインして作ってもらった京焼のオリジナル丼です。醤油用は真っ白で香りが立つように狭い作りにしていて、塩用は黄金スープの色を引き立てるように面を広くしています。ラーメンのスープを直接飲んで楽しんでもらいたいので、そのための工夫もしています。」
- 大池店主が大事にしていることは?
「くろ㐂では『全ての行動は美味しい一杯のために』と教わりました。僕の中では美味しいものを作ることは当たり前。店内の温度。食材の仕込みの量。丼一つ。僕らの所作。お客様目線で見れるかというのは凄い大事だと思っています。だから何回も自分で試すんですよ。」
- 試す? 何を試すんですか?
「自分が初めてお店へ来るお客様として、まずお店に入って、券売機の場所、座席間隔、電気の明るさ、お客様目線で試すんです。外人だったパターン、小さい子供だったパターン、子供を連れた親パターン、色んなパターンを想定して試すんです。何かが気になるとずっと気になるじゃないですか!何にもストレスが無い状態が、ラーメンを一番美味しく食べられる状態なんです。それが僕の中では『全ての行動は美味しい一杯のために』に含まれるんです。」
- 「くろ㐂」出身というプレッシャーは?
「もちろんありますよ(笑)。でも僕はくろ㐂でやれることはやってきたんです。中途半端にしてきたわけではないんです。自分でやれることはこの一杯に"出せるとこまで出している"と思っているので、これで何か言われても仕方ないなと思っています。只、味以外のところ、僕の態度とかそういう所で色々言われるのは辛いですよね。お店に来る動機って、美味しい以外もいっぱいあると思うんです。だからそういう所を大事にしたいですね。今はくろ㐂の大池でしかないんです。それでお客様が来てくれていると思っています。それを利用してでもまず多くのお客さんに来てもらって、僕のラーメンを食べてもらって、それから僕とお客様との間に信頼が生まれてきたらいいと思っています。」
◆店舗情報
小麦そば 池
長野県松本市中央1丁目25-1 犬飼ビルD
twitter:https://twitter.com/komugisoba_ike
instagram:https://www.instagram.com/komugi_ike/
オープン日:2022年10月29日
(取材・文・写真 KRK 令和4年9月29日)