京都観光のハイライトの1つ「金閣寺」の近くに、2022年5月11日、注目のラーメン店がオープンした。屋号は「らぁ麺 きむら」。京都市内で人気を博していた「麺処雁木」が、新天地にて新たな屋号でオープンしたお店だ!取材する時間を作って頂けたので、移転の経緯などいろいろ聞いてみようと思う。「らぁ麺 きむら」木村店主にKRK直撃インタビュー!
- ご出身は?
「京都市の下京区です。」
- ラーメン屋をしたいと思ったきっかけは?
「大学3年生の時に周りのみんなが将来の進路を考え始めていたんですが、僕自身は何も考えていなかったんです。自分は何がしたいのか考えた時に、人と関わることがとても好きだったので、人と話したりとか関われる仕事がしたいと思いました。その時にちょうどラーメンを食べるのにハマっていた頃だったので、カウンターメインでラーメン屋をしてみようかなと思いました。アルバイトでピザ屋の配達とかはしていましたが、飲食経験はほぼ無かったです。」
- ラーメン屋を目指すことに決めてからは?
「僕は何かを決めたらそのまま突っ走ってしまう性格なので、大学にいる意味も特に無いなと思いました。それで両親に相談するともちろん反対されたんですが、最終的に父親が『好きなようにしてみろ』と言ってくれたので大学を辞めることにしました。」
- 大学を辞めてからは?
「ラーメン屋をするなら、どこかで修行して独立って流れだと思いました。東京とかに行って修行をして、休みの日にはラーメンを食べ歩けたらいいなと考えていました。逃げ道を断ちたかったので、知り合いがいない地域がいいと思っていました。」
- 修行先に選んだのは?
「よく食べに行っていた『京都千丸しゃかりき』(当サイト記事)で当時勤めていた店長さんが、『東京に行ける距離で、長野県なら凄い腕のある良いオーナーさんがいるから紹介しようか?』とおっしゃってくれました。失礼な話なんですが、自分が美味しいと思わないお店で修行したくないと考えていたので、一度食べに行かせてもらいました。そのお店が、長野県松本市の『麺肴 ひづき』でした。凄い丁寧な仕事をされていて、拘りが強く伝わってきたので修行させてもらいたいとお願いしました。」
- 「麺肴 ひづき」での修行はどうでしたか?
「本当に良いお店だったし、腕も凄い方で多くのことを学ばせて頂きました。長野に行って本当に良かったと思います。4年半ほどお世話になりました。」
- 独立のタイミングは?
「学びたいことがずっと増え続けるので、独立のタイミングを考えることができていませんでした。その時に師匠が『離れる日を決めてしまった方がいい。そうしないと一生抜けられなくなるよ』と言ってくれました。それで『あと2年しっかり学んで、京都へ帰らせてもらいます』と伝えました。」
- 修行中に自店で出したいラーメンを決めていましたか?
「修行を終える日を決めてから、いろいろ考え始めました。修行店は限定を凄く多彩にされるお店だったのでとても勉強になっていました。今のラーメン事情とか考えていなくて、自分が作りたいラーメンを作ろうと思っていました。」
- 「麺肴 ひづき」から離れる時に?
「僕が店を離れる少し前に、他にも辞める人がいたんです。当時、3店舗あったんですが、人が足りないので1店舗閉めるという話が出てきました。それで僕が『新しい人が入るまで修行を延期して残ります』と提案したんです。すると師匠が『お前の都合を俺たちが変えるのは違うと思う。お前は逆に残ってはいけない』と言いました。それから師匠と泣きながら色々と話して、結局、一店舗閉めることになり、僕は京都へ戻りました。」
- 京都ですると決めていたんですね。
「京都ですると決めていました。今まで生きてきて関わってきた人達に、成長した自分のステージをお披露目したいと思っていました。京都へ戻ってきてから物件探しをして、2015年に『麺処 雁木』をオープンしました。」
- 屋号「麺処 雁木」の由来は?
「僕が好きな将棋で"雁木囲い"という戦法があり、字がかっこいいなと思って屋号に使いたいと思いました。『自分の城をしっかり守りながら、攻めるところはしっかり攻めていこう』という意味合いを込めています。そして後付けになるんですけど、雪国の雪除けの屋根みたいなのを雁木造りと言うんですけど、『人様の支えの下を歩かせてもらっている』という気持ちも含んでいます。」
2022年5月11日オープン
- 雁木オープンから約7年が経って、今回、屋号を変更して移転した経緯は?
「雁木のやり方というのは、自分の楽しいようにするというやり方でした。スープを3〜4種類炊きながら、麺も8種類くらい使っていました。自分を酷使しながらしていましたが、50歳とかになった時にこのペースで身体が保つのかと考えました。そして誰かに任せる時も来ると思うので、雁木のやり方をしていては教えるのが大変になる。いつかはメニューを縮小して、誰かに伝えられる環境を整えていかないといけないと考えていました。
そして雁木で目指していた目標の中で、独立前からの夢だった『このフェスに出店したい』というのも実現したんです。雁木の役割はほぼ全部達成できたのかなと自分の中では思ったので、移転する時は雁木というストーリーを終幕して、違うラーメン屋で第二章としてスタートしたいなと思いました。予定していた時期より5年ほど早まってしまったんですけど。」
- 5年も早まった理由は?
「半年前に東京のラーメンスクエアのラーメントライアウトに参加したんです。優勝したら立川で出店するとなるので、その時に次のことを考えていたんです。結局、決勝で敗退したんですけど、気持ちはもう次に動き始めていたので止まっていられなくなったんです。それで物件を探し始めたんです。」
- この場所は?
「この物件は完全にスケルトン(店舗内の床・壁・天井・内装などが何もない、建物の躯体だけの状態)で何も無かったんです。そこから始めるのは大変なんですが、一生懸命したら凄い良い店が作れるんじゃないかと考えました。学生さんも多いエリアだし、金閣寺も近い。長い目で見ると、この場所でするのもいいかなと思いました。」
- 今回、屋号に自分の名字を付けたのは?
「娘が保育園の時に『将来は素麺屋になりたい』と言っていたんです。『なんて名前のお店にする?』と聞いたら、『素麺きむら』と言ったんです。かっこいいなと思ったので使わせてもらい、『らぁ麺きむら』に決めました。」
魚だし醤油らぁ麺
- 「らぁ麺きむら」で提供する商品は?
「何か刺激が欲しいと思っていて、自分の中で勝負したいものを考えて、出汁の勉強とかもしていたので『節系で勝負してみたい』と思いました。動物系不使用で、違う出汁の取り方のダブルスープってあまり無いと思うんですよ。それで生まれたのが今のラーメンです。」
- 将来的に店舗展開も?
「目標としては、10年間でもう2店舗出したいと思っています。例えば次は担担麺屋さんだったり塩ラーメン屋さんだったり、専門店みたいな展開をしたいと思っています。」
- 木村店主が一番大事にしていることは?
「2つになるんですけど、一つ目は『人との繋がり』です。雁木の時から大事にしてきたコンセプトです。もう一つは、目標を達成するためのプロセスというのをしっかり踏んだ上で、物事を考えて進んでいくことです。」
◆店舗情報
らぁ麺 きむら
京都府京都市北区衣笠東御所ノ内町42 クラスカ衣笠 1F
公式ブログ:https://ameblo.jp/mendokoro-gangi/
twitter:https://twitter.com/ra_men_kimura
instagram:https://www.instagram.com/ramen_kimura/
オープン日:2022年5月11日
(取材・文・写真 KRK 令和4年6月7日)