今回取材するのは香川県三豊市の行列店「讃岐ラーメン はまんど」。うどん県として認知されている地域だけにラーメン店にスポットが当たることはなかなか無いエリアだが、はまんどは全国区の知名度を誇り、日本各地からのラーメンファンでいつ行っても大行列となっている。
私の母の実家が「はまんど」の隣町にあるので、幼少時代の夏休みはこの地域で過ごすことが多かったので多くの思い出が詰まった地域だ。だから森店主とはこの日が初対面だったが、話のリズムが不思議と合う気がして長年の知り合いのような感覚があった。約11年前に初めて来てから定期的に通っているお店なので知りたいことが多くある。「讃岐ラーメン はまんど」森店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「ここが地元です。今は三豊市なんですけど、昔は三豊郡三野町。ここが僕の生まれ育った所です。」
- 元々、ラーメンは好きだったんですか?
「僕が子供の頃、父親が食肉関連の仕事で大阪の中央市場に行ったり来たりしていたんです。それで僕も一緒に連れて行ってもらって割と新しいものというか、この辺りで食べられないものを大阪で食べていました。ラーメンも大好きでした。」
- 当時の香川県でラーメンはどんな存在でしたか?
「当時、この近所には何軒もうどん屋さんがありまして、うどん食堂の中の中華そば、これがうどんの3倍ほどの値段だったので僕らくらいの世代の人間にはご馳走だったんです。香川のラーメンというのは、うどん食堂の中華そば、それと戦争で大陸に行って現地で教わってきた人達が引き上げてきて始めた屋台のラーメン、そして中華料理店のラーメン。この3つが香川のラーメンの系譜とされています。」
- 自分のお店をするきっかけは?
「僕は元々ラーメンが好きで独学でずっとラーメンを作っていました。実際にお店を始めたのは34年前になりますね。最初に始めたお店は居酒屋でした。屋号は「炉端焼き 盛」。場所は隣町の詫間町でした。その頃は香川では居酒屋の〆にラーメンという流れで、ラーメン専門店はほぼ無かったんです。」
- どんなラーメンを提供していたんですか?
「その居酒屋は凄く流行っていたので、ラーメンもいろんなバリエーションのを作っていましたね。タンメン、半チャンラーメン、チャンポン、昔ながらの中華そば、味噌ラーメン、いろいろしていましたね。それで居酒屋ラーメンで割と有名になってきて、全国放送の正月特番でも取り上げてもらうこともありました。」
◆「讃岐ラーメンはまんど」創業時の店舗
- ラーメン専門店をするきっかけは?
「居酒屋を2店舗して、3店舗目にラーメン専門店をどうしてもやりたくなりました。全国放送で取り上げてもらったりしたんですが、しばらくすると集客があまりよくない時期がありました。その時に『なんでうどんに負けるんだろう?』と思って、それから香川県下のうどん店を食べ歩くようになりました。「うどん屋は敵ではなくライバル』と考えて研究し始めました。」
- うどん店を巡って収穫はありましたか?
「その当時はうどん一杯で100円くらい。500円あると大人2人が腹一杯になるんですよ。僕は1年間でうどんを約1500食、そのペースで3年間ほど食べ歩きました。そうしている内に食堂や屋台の方達と知り合って、その方達が引退する時にレシピを教えてくれるんですよ。それが凄く勉強になりました。」
- 自身のラーメンに生かせるヒントはありましたか?
「自分はそれまで良いものを足すと良いものができると思っていたんですが、そうではなくてバランスなんですよね。僕は和食の出だから良い肉、良い魚、良い野菜を使って変な調理さえしなかったら良い料理ができるんです。でもラーメンの場合は良いものを使ったからといって必ず良いものになるというわけではない。引くこともしないといけないんだなって自分でもなんとなく気づいていたんです。そして高松の最古参店のおっちゃんのレシピを見せてもらった時にそれが間違いないと確信し、やっとトンネルの出口の光が見えました。」
- 数年間かけて遂に形が見えてきたんですね。
「今のラーメンの原型ができるまで4年半ほどかかりましたね。はまんどラーメンの原型が1998年にできて、それから居酒屋を全部やめて『これ一本でいこう』と決心しました。現店舗の隣にプレハブが残っているんですが、そのプレハブで1999年から営業を始めました。」
◆はまんどラーメン
- 屋号「讃岐ラーメン はまんど」の由来は?
「香川県下の先人達から受け継がれた技とか味を吸収した上でブラッシュアップして自分なりにアレンジしました。僕が作っているのは多くのお店を食べ歩いて先輩達の想いとか技を全部汲み取った上でのラーメンなので、僕の店は『讃岐ラーメン』と謳ってもいいんじゃないかと思いました。」
- 「はまんど」は?
「そこの駐車場の横、お墓や祠があってあれが『浜の堂』。この地域の半径300mくらいの人たちは浜の堂を『はまんどさん』と言っています。地元に敬意を込めてという意味も含めて『讃岐ラーメン はまんど』としました。」
- 麺もうどんを意識しましたか?
「琴平に『宮武うどん』という店があって、そこのうどんの麺を中華麺でできないかなと考えました。ビジュアルは高瀬町の渡辺さんの天ぷらうどんの見た目を参考にしました。当時、僕はまだ香川県から出たことがなかったですからね。」
- 現在の店舗になったのはいつ頃?
「現店舗を建てたのは高松自動車道の三豊鳥坂ICができた頃ですね。息子達に継いでもらわないといけないのでプレハブのままでは駄目ですからね(笑)」
- 店舗展開について?
「ラーメンをやりたい、想いを引き継ぎたいという人がいたら僕は教えるようにしています。近年、うどん食堂、大衆食堂から中華そばだけ廃れていっているんですよ。だからウチの朝ラーメンみたいなものを再び香川県下に散りばめたいと思っています。」
- ずっとラーメン界を見てきて、何か思うことはありますか?
「自分もそうだったんですけど、今の店主さんが60、70歳になった時に今のラーメンができるかということなんですよ。僕が関東に食べに行った時に感銘を受けたのが、つくもさんってチャンポンなど九州ラーメンのお店、それと新大久保のめときさん。そういう大将一人でお客さんと持ちつ持たれつというか、歳を重ねてもずっと厨房に立っていてお客さんと共に歩む店というのに僕は凄く憧れたんです。いろいろしようと思ったらしんどいんですよ。自分ができる範囲のシンプルなものにしてやるってのが僕の最終系の目標なんです。見た目あっさりでコクのあるラーメンを作るには時間しかない。見た目ばっかりを気にするのではなく、シンプルなものほど手間がかかるというのに気づいて欲しいと思いますね。」
- うどんは今も意識しているライバルですか?
「『自信があるなら一本だけで勝負してよ!』と言う方もいたんですが、やっぱりライバルはうどんなんですね。ラーメンでうどんと対等に戦うとしたら間口を広げてやらないと、お客様は『あそこに行こう』ってなかなかならないんですよね。」
- 森店主が大事にしていることは?
「真面目に同じことを繰り返すだけ。そしてお客様に心から感謝すること。未だにお客様に『美味しかったです』と言ってもらえると二の腕辺りがゾワゾワってするんですよ。それのためだけにしているんです。例えば小さい子供が大きくなった時に『あのじいちゃんはもういないけど、あの時にあのじいちゃんが作ってくれたのをここで食べた!」と将来言ってくれたら僕の存在価値があると思っています。」