近鉄布施駅の近くに超個性派のラーメン店がある。いつも大行列なのでなかなか行く勇気がないが、ここでしか出会えないラーメンにいつも驚かされるお店だ。先日、取材をお願いすると「もうすぐ独立して新たな屋号でスタートします!」と教えていただいたので、それなら再出発してから取材をさせてもらおうとこの日まで待たせてもらっていた。
新たな屋号で営業を始めたばかりの「魚々麺 園」井上店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「大阪です。堺の浜寺という所です。」
- ラーメン屋をするきっかけは?
「高校の時から飲食で働いていました。中華とかですね。そして23歳の頃に飲食から離れてダイキンエアコンで働き始めたんですが、4年ほど経った時に知り合いから『ラーメン屋をしてみないか?』と電話がありました。」
- いきなりラーメン屋開業の話?
「以前に大阪ミナミのカフェで働いていた頃に知り合ったAさん(前の布施丿貫の社長)が横浜の丿貫社長と同級生で、そのAさんから『ラーメン屋をしないか?』と話が来ました。メッチャいきなりでしたね。」
- どう返事したんですか?
「中華をしていた頃から、いつか自分の店をしてみたいとは考えていました。ラーメン屋とか決まっていなくて、とにかく何かをしてみたいという感じでしたね。それで『丿貫(ヘチカン)というラーメン屋をしないか?』と話が来た時、手に職を付けたかったので『やりたいです。』と返事しました。」
- それからラーメンを学ぶんですね?
「短期ですが横浜で直接ラーメンを教えてもらいました。当時、横浜も店舗を持たない店でずっと間借り営業ばかりでした。当時の僕はラーメンに関して完全に無知だったし、丿貫のラーメンも食べたことない独特の味。初めて食べた時に『食べたことない味だし美味しいな。これならやりたいな!』と思いました。」
- 横浜での修行はどうでしたか?
「横浜の社長がとても理論的な人で『こうやったらこうなるよ』ととても分かりやすかったです。実際に大阪で仕込みを始めた時に、こうやったらこうなるというのが形としてできてきました。オープン時は横浜の社長も来てくれて『どんなのできたの?』って聞かれたので『こんなのができました。』と言うと、『これならオープンできるね!』という感じでしたね。」
- 場所は?
「堺とか考えずに、不動産屋を通して店舗っぽい所で居抜きで探しました。東大阪は初めてだったので知り合いも誰もいませんでした。この辺りのお店を食べ歩いて一番好きになったのが大金星さん(既に閉店)だったので、大金星の店主に『店主同士の付き合いじゃなくて、普通に友達になってください』と言いに行きました。『自分面白いな!』と言ってくれて、オープン時にもメッチャ宣伝してくれました。」
- オープン時のメニューは?
「煮干そばと出汁そば。それと横浜の社長に教えてもらった辣油を使った横浜赤中華がありましたね。」
- オープンしてお客様の反応は?
「メチャクチャ暇でしたし、残すお客様も多かったのでショックでした。こんなラーメンは初めてって方がほとんどでしたからね。でも収蔵さん(現・麺や一想の店主)や矢島さん(現・umami店主)、ゆうきくん(現:而今大東店の店主)とか同業者の店主さん達が来てくれて『美味しいよ。いけるで!』と言ってくれていました。」
- 布施丿貫のメニューはオリジナルで開発?
「横浜丿貫からは自由にやりたいことをさせてもらっていました。最初はいろんな煮干し、鯵だけで炊いたり、秋刀魚の煮干しだけ炊いたりを分量とか水の配合とか誰にも聞かず独学でずっとしていました。美味しいのができたら出してみてという感じでしたね。」
- 看板の一つである鯛をするきっかけは?
「横浜の社長から『マッドクラブそばが横浜で流行っているから学びにおいでよ』と連絡をもらって横浜に行きました。その時に麺魚というお店がオープンしたばかりでとても話題になっていたので食べに行ったんです。それで『鯛のラーメン、こんなに美味しいんだ。大阪でしたいな!』と思いました。それから鯛業者を探していたら、umamiの矢島店主が山崎真鯛という業者さんを教えてくれました。」
- 鯛も自己流で?
「炊き方も知らないし、何分で出汁が出るとかずっと試作しながらでしたね。最初はメチャクチャ生臭いのができたりして、試作を重ねて今に至りますね。」
- 話を聞いていたら、ずっと魚一本!魚でと決めていたんですか?
「布施丿貫を始めた時から決めていました。美味しいラーメンはいろいろありますが、自分にしかできないラーメンを作りたいという気持ちが強かったですね。」
2021年3月3日
- そして今回の独立ですね。きっかけは?
「何をするにしても社長を通してからなので、実行するまでにタイムラグがあるのが気になり始めました。コロナ禍でもお陰様で更に忙しくなってきて、従業員の待遇改善もしたかったんです。従業員は僕が面接して入ってもらった人ばかりです。社長の元で6年半してきましたが、人のためというより自分のために頑張りたいという気持ちになりました。それで昨年夏(2020年)に社長に独立したいと伝えました。社長は『いいよ。その方が君のためになるよ』と言ってくれました。」
- それから横浜の方にも伝えるんですね。
「横浜の社長にも伝えました。丿貫の商標登録は横浜が持っていて木更津の店とかはブランドパートナーとしてやっているので、布施丿貫だけ特別扱いはできないので屋号は変えないといけないと説明を受けました。」
- 屋号を変えることには?
「メッチャ嫌でしたよ。丿貫という屋号を初めて聞いた時は『何やろ、この名前は?』って感じでしたが、それからルーツとか調べたりしてとても愛着があったんです。でも仕方が無いですからね。関西の丿貫の権利を持っているAさんもまた関西圏のどこかで丿貫をするかもしれませんしね。」
- 新屋号「魚々麺 園(トトメンエン)」の由来は?
「魚々の麺、魚のラーメンと1発で分かるようにしたかったんです。読みは難しいですが、別にギョギョメンと読んでもらってもいいんです。とにかく魚のラーメンというのだけ分かってもらえたらいいかなと思って決めました。」
- 園は?
「公園の園とか、人の集まる場所。丿貫じゃなくなっても集まって欲しいなと願って決めました。」
- 独立のタイミング?
「2月いっぱいで前社長の経営が終わるので、3月から僕がするタイミング。横浜丿貫の社長からは『準備とかあるので3月中は丿貫という名前を使ってもいいよ』と言って頂きました。丿貫から正式な独立者という形になります。」
- メニューはそのままになるんですね。
「今は完全にオリジナルメニューなので、そのままです。横浜丿貫で教えてもらってずっとしているのは牡蠣玉くらいですね。」
- 今後の展開は?
「ウチの商品は食材頼り。魚屋さんの知り合いに紹介してもらっていろいろ試しています。金目鯛や鮟鱇の肝とかですね。それをスポット的にするのか、定番にするのかという感じで今はしています。大阪の流行もありますからね。」
- これからも魚に拘ったメニューで?
「今はもう魚好きじゃないとウチには来れないとなっていますね。オープン当初は暇過ぎたし残すお客様も多かったので、横浜の社長に相談したんですよ。すると『そういうラーメンを作っているんだから当たり前なんだよ、それは!』と言われて、それを聞いて吹っ切れましたね。変わったラーメンで美味しいもの、僕らしくていいかなと思いました。」
- 井上店主が大事にしていることは?
「楽しくストレスないようにというのが一番。ラーメンに関しては、お出汁というより絞り汁を目指しています。魚の濃い出汁だったらどこにも負けたくないなと思っています。今は真鯛にしろ第一段階。これだけ濃い店は無いだろうなというレベルで炊いていますが、もしもっと魚の濃い店が出てきたら、まだもっと濃く炊ける用意はしています。」