今回取材するお店は名古屋市の「麺家 喜多楽」。東海ラーメンシーンを長く支えてきた名店だ。私が初めてこのお店へ来たのは2008年11月。濃厚系全盛の中、当時から完全無化調を謳い、清湯メインで勝負している姿勢に惹かれたものだ。
ここ数年、当サイトで多くの東海のお店へ取材をしている内に、今更ながらこのお店が現在の東海ラーメンシーンに多大な影響を与えてきたのに驚かされた。林店主と話すのはたぶん10年振りくらいになる。20周年を迎える"麺家 喜多楽"林店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「生まれは岐阜県の高山市です。」
- ラーメンを作る側になろうと思ったきっかけは?
「高山で高校を卒業してから名古屋に出てきました。専門学校に行きながら働いていたんですが、ちょっと人生についていろいろ考える時期があったんです。ちょうどその頃にあるラーメン屋さんに入ったんです。冬だったんですけど、僕の隣のお客さんがラーメンが出てきてスープを一口飲んだ時に深いため息をついたんです。身も心も温められたようなリアルな反応があって、それに感動して『あ~、こういう仕事がしたいな!』って純粋に思いました。それで『僕は高山の高山ラーメンで育ってきたので、高山ラーメンをやりたい』と思いました。」
- それまでは飲食に興味は無かったんですか?
「それまでは全く無かったですね。調理経験も全く無かったですから『どこかに修業に入らないといけないな!』と思いました。それで名古屋で高山ラーメンをしている『やよいそば』さんに出会い、そこに就職という形で修業に入りました。やよいそばさんでは5年くらいお世話になりました。」
- 独立志望はあったんですか?
「ゆくゆくは高山ラーメンで独立したいと思っていたんですけど、やっていく内に自分の味で勝負したいなという気持ちが出てきました。高山ラーメンというと文化があって、製法も独特で変えてはいけない部分がたくさんあるんです。このまま修業していたら高山ラーメンはできるけど、自分のラーメンは作れないなと思いました。それで会社の方に気持ちを伝えて退社をし、自分のお店を立ち上げることにしました。」
- オープンしたのは何年?
「2001年に(名古屋市)西区で始めました。それから2年くらい西区でしていたんですけど、ちょうど高速の工事が始まって移転することに決めました。元々住んでいたのがこの辺り(現在の場所)だったので、この辺りで探していたらこの物件が見つかりました。」
- 屋号「喜多楽」の由来は?
「単純な理由なんですけど、電話に出た時に優しく聞こえる屋号がいいなと思いました。『来たら?』っていう言葉に、自分の想いを当て字で当てはめていきました。喜びが多くて楽しい店作りをしていきたいなって意味です。
- 西区でオープンした頃には自分のしたいラーメンは見つかっていたんですか?
「まだ全くでしたね。高山ラーメンは作れたんですけど、高山ラーメンってカエシが無いんですよね。だから僕はカエシの作り方が分からなかったので、自分で試行錯誤で作っていましたね。作りたいラーメンは当時、Wスープが出始めてきた頃で『この作り方がいいな~』と思って、誰にも教わらず自己流でしていました。やよいそば本店がラーメン博物館に出ていた頃、ラーメン博物館の方に何度か相談したことはあります。」
取材時のメニュー(2020年9月12日)
- 最初に西区でオープンした時の商品は?
「オープンした時のメニューは(今のメニューにもある)らぁ麺。白湯スープと魚介系のWスープのらぁ麺でスタートしました。清湯はまだしていませんでした。」
- 無化調清湯を始めるきっかけは?
「オープン1年目の頃に名古屋で無化調ブームが始まって、三吉さんとかグーンと人気出ていたんですよね。それを見ていて『自分だったらどんな無化調が作れるかな?』と思い、今昔支那そばを始めました。」
- 完全無化調とメニューに表記していた理由は?
「その頃、無化調という言葉だけ独り歩きしてしまっていて、中には自分で化学調味料を入れなければOKみたいなお店もあったんですよ。実際、調味料に何が入っていようが関係ないって感じで、自分で入れなければ無化調だって(笑)。僕は『それはおかしいだろう』と思って、当時の僕も無化調には詳しく無かったので全部メーカーに問い合わせて『この商品は入っていますか?入っていませんか?』と聞いて商品を開発していきました。」
- 新たな看板メニューを「今昔支那そば」と命名した理由は?
「当時、東京のラーメン店をいろいろ見ていたら、鏡花さんで『今昔鶏想麺』って商品があったんです。それを見て『今昔っていいな!』と思いました。支那そばってのは佐野さん(故・佐野実氏)に凄く憧れていたので今昔支那そばに決めました。後で鏡花さんには『今昔を使わせてもらいました!』って了解をもらいました。」
- 無化調清湯で勝負することに不安は?
「なんかそこまで考えていなかったですね。自分で作りたいもの、美味しいと言ってもらえるものを作りたいって思っていました。どこかに育ちがあるんでしょうね。自分は高山の中華そばで育ったので、中華そば系が好きなんですよね。」
今昔支那そば 醤油
- 最近の名古屋ラーメンシーンについては?
「こんなことを言ったら叱られるかもしれないですけど(笑)、最近のラーメン屋さんを見ているとゴールがみんな一緒なんですよね。関東の人気店のビジュアルをそのまま持ってきたよってラーメンが多いんですよ。日本でこれだけラーメン文化が浸透した理由は、お店が違えば味が違う。その多様性がラーメンの魅力だと思うんです。僕らのオープンした頃は『俺だけの味』って感じでしていましたからね。もちろん最近のお店のレベルはグーンと上がっていますけど、そこから一つ面白みが無いなって感じています。」
- お弟子さんへの教え方は?
「ウチから独立してやっているのは、麺屋いえろう(名古屋市)、志縁(東海市)、担々麺 こころ家(長久手市)です。僕のやり方は教えるけど、あとは好きにしろって感じですね。結局、困ったことがあった時に自分の味で勝負していないと言い訳になってしまう。僕の味をそのままでしてもいいですけど、それで自分の中で言い訳をするんだったら、うちの作り方をベースにして自分の作りたいようにやってもらった方がいいと思っています。」
- 林店主が拘っているところは?
「僕のラーメンの作り方ってのは一口目で美味しいを求めていないんです。丼一杯を全部食べ終わった時に『あ~、美味しかった!』と思ってもらえるように作っているんです。最初のインパクトは必要ないんです。それは自分で弱い部分って分かっているんですけど、これがウチのスタイルなのでそのまま続けていかないとって思っています。」
- 最後に一言お願いします。
「ウチとしては来年で20周年になります。これだけ長くやっていると、カップルで来ていたお客様が結婚して子供を連れてきたりとか、小学校くらいから親に連れてきてもらっていた子供が大学生になって彼氏を連れてきたりとか。お客様の思い出の中にちょっと寄り添えるようなお店でいたいなって昔から思っています。『あの時、喜多楽のラーメンを食べたよね!』とか言ってもらえるようなお店でいたいですね。
たぶん、正直言うと今の『今昔支那そば』より美味しいラーメンを作ることはできるんです。だけどそれをすると、このラーメンを目当てで来てくれているお客様に不義理をするんじゃないかと思っています。お客様に分からない程度に少しずつは変えているんですけど、何となく変わったなって程度。そうしてブラッシュアップをしながら、息の長いお店をしていきたいなと思っています。」
<店舗情報>
麺家 喜多楽
愛知県名古屋市中区橘1-28-6 近藤ビル1F
instagram:https://www.instagram.com/menyakitara/
(取材・文・写真 KRK 令和2年9月12日)