約7年ぶりに高知県へやって来た。今回取材するお店は、高知市の"鶏と魚"。店主は東京の名店「饗 くろ㐂」出身の方で、同店からの最初の独立者と聞いている。そういう経緯もあってオープン時からかなり話題になっていたので、私もずっと気になっていたお店だ。"鶏と魚"高橋店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「生まれも育ちも高知です。」
- 昔からラーメンは好きだったんですか?
「自分たちが子供の頃はまだ高知にはラーメン屋があまり無くて、どちらかといえばうどん屋さんで食べることが多かったですね。」
- ラーメンするまでは何をされていたんですか?
「自動車整備の専門学校に行っていて、卒業後に県内で就職しました。しかし都会に出てみたいという思いがあったので1年ほどでその仕事を辞めて、21歳頃に東京へ行きました。」
- 東京での生活は?
「東京ではトラックの運転手をしていたんですが、10年ほど経った時に『このままこの仕事をしていても体力的な面で厳しくなるだろうな』と思い始めました。それで『この先どうしようかな?』と考えていたら、浮かんできたのがラーメンでした。その頃はラーメンが好きで、東京だけでなく全国いろいろ食べに行ったりしていたんです。」
- その時には既に自分の店をしたいと思っていたんですか?
「元々は高知に戻ってきたいという気持ちがあったので、何か高知でやれることを習得したいと思っていました。」
- 最初に修業したお店は?
「いろいろ食べ歩いている中で、ある日、"ひるがお"で食べて衝撃を受けたんです。『こういうのを作れる技を身に着けたい』と思い、せたが屋(公式HP)に入ることに決めました。」
- 初めてラーメン屋で働いて、どうでしたか?
「最初は右も左も分からないし怒られてばかりでしたね。何度もくじけそうになりましたが、僕より半年ほど先輩だった里村さん(現・青森中華そば オールウェイズ店主)がいつも相談に乗ってくれていました。そして、せたが屋が福岡のキャナルシティに出店する時に里村さんが店長に決まって、一緒に連れて行くスタッフとしてまだ3カ月目の僕を指名してくれたんです。悩んでいた時期だったので、その時は『里村さんに拾ってもらった』という気持ちでしたね。」
- せたが屋には何年いたんですか?
「3年半ほどですね。里村さんはせたが屋を離れて札幌のQさんで修業を始めていましたが、僕はせたが屋の中を転々としていました。店長という話も何度かあったんですが、でもまだ自信が無かったので断り続けていました。今になって思えば、その時に店長をしていたら責任感とか今に生かせられたと思うのでちょっと後悔しています。」
- そして次のステップは?
「せたが屋内での技術は身に着いていたんですが、伸び悩みを感じていました。このまま高知に戻って1人ですると失敗するなと思い、もう一回、本気でしないとって決心し、大将(饗 くろ㐂 店主)のところへ面接に行きました。当時、大将のお店はオープンして4年目でしたが、既にラーメン界では"1つ上の世界のお店"というイメージになっていました。そういう技術、精神面とかも学びたいと思いました。面接には僕以外にも何人か来ていたそうなんですが、その中から僕を選んでくれたと聞きました。」
- くろ㐂での仕事は?
「大将からは『最初の1週間は怒らないから』と言われていたんですが、僕は一日目から怒られていましたね(苦笑)。大将は本当の職人なのでとても厳しくて、当時はプレッシャーとかで潰されてしまうと思っていました。今になって分かるのは、それくらい厳しくしないと僕が限られた期間内で独り立ちできないってことだったと思うんです。くろ㐂では入る時に『修業期間は何年!』と決められて、その期間内に必要なことを学んで独り立ちしていくという形なんです。」
- くろ㐂で学んだことは?
「大将の料理に対する姿勢。食材に関する姿勢。大将は食材は一切捨てないんです。そして毎日言われていたのが、『考えろ。何をする時でも考えて行動しろ。』という言葉です。本当に多くのことを学ばせていただきました。」
- それから高知へ戻るんですね。
「くろ㐂での修業期間の途中だったんですが、高知へ戻らないといけない事情ができてしまったんです。くろ㐂を辞める時、大将に『正直、高知でラーメン屋をできるか分からないです。』と伝えたら、大将は『時間がかかってもラーメン屋をやった方がいいよ』と言ってくださいました。そして最後にこの包丁をいただきました。"饗"って掘ってあるんですよ。宝物です。それからも大将は高知に何度か来てくださっていて、いろんな所に高知の食材を一緒に見に行ったりしています。」
麺's HOUSE 繋(2016年2月オープン)
- 自分の店を始めたのは?
「2016年2月に地元の香南市で"麺's HOUSE 繋"というお店を始めました。ここから車で1時間くらいの所で、商品は清湯で今とそんなには変わらないですね。」
- 屋号の由来は?
「オープンが近づいてパッと浮かんだのが小麦の繋がり、人の繋がり。それで決めました。その場所で2年半くらい営業しました。」
鶏と魚(2018年7月1日オープン)
- 2018年に今の場所へ移転した理由は?
「以前の場所はちょっと市内から離れていて辺鄙な場所だったので、もうちょっと多くの人に食べてもらえる場所がいいなと思いました。」
- 屋号"鶏と魚"の由来は?
「前の店とは逆で、今回は最初に屋号から決めました。誰が見ても屋号を見たら分かるという、分かりやすい屋号にしようと思いました。使っているものも鶏と魚だし、検索もしやすい。」
- 清湯メインでやろうと決めたのは?
「高知県は独自の文化があって、こってり、味が濃いのが好まれていました。でも僕は今まで修業してきたこともありますし、自分が食べて美味しいと思えるものを提供したい。なかなか売れなくても清湯メインでやり続けると決めました。
最近は知名度も上がってきてお客様も徐々に増えてきています。もうちょっと若い層にも来てもらいたいので、月替わり限定という形でこってり系も提供を始めています。」
- 地産地消とかは意識しているんですか?
「高知県は食材が豊富です。全てじゃないですが、なるべく高知県産を使おうと思っています。高知は塩の県なので高知産の塩をできるだけ使っていますし、鶏出汁のベースには高知の地鶏の土佐ジロー、ごめんケンカシャモ、はちきん地鶏。高知は地鶏大国と言われているくらい恵まれています。」
- 毎週土曜にしている鴨出汁専門店「らぁ麺屋 鴨」はいつから?
「以前の店舗の時から既に毎週土曜日にしていました。高知には二毛作という文化が無いので、徐々に定着していったらいいなと思います。」
- 高橋店主が大事にしていることは?
「自分の信じたことをやり続ける。そして毎日の仕込みでも同じことの繰り返しですけど、その中で何か気づけることを探す。そういうことを大切にしています。」
<店舗情報>
■鶏と魚
住所:高知県高知市本町3-2-48
twitter:https://twitter.com/U37tz3Nwio8j0gy
オープン日:2018年7月1日
(取材・文・写真 KRK 令和2年3月21日)