Vol.154:ラーメン屋 トイ・ボックス


 今回取材するのは、"ラーメン屋 トイ・ボックス"。日本最大のラーメン激戦区「東京」でトップ中のトップとして認知されている名店だ。研ぎ澄まされた一杯とコミカルな屋号のギャップ。東京で醤油ラーメンでやっていくことがどれほどの挑戦なのか、そして日本中からラーメンファンが訪れることへのプレッシャーはどれほどのものなのか。聞きたいことが山ほどある。"ラーメン屋 トイ・ボックス"山上店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「生まれは横浜です。」

 

- ラーメン屋をする前は?

「親の手伝いをしたり、オーストラリアへワーキングホリデーで行ったりしていました。オーストラリアから帰ってきて、当時、スノーボードをしていたのでそっちの道へ行きたいなと思いながらスキー場で働いていました。でも怪我をしてしまってそっちの方向の道はあきらめることになり、それから元々、工業高校の建築科を出ていたので、リフォームの営業の仕事を始めました。」

 

- ラーメンは好きだったんですか?

「ラーメンはずっと食べ歩きをしていましたね。一番最初のきっかけは、子供の時におばあちゃんが作ってくれたサッポロ一番味噌らーめん。『こんな美味しい食べ物があるんだ!』って衝撃を受けたんです。それ以来、ラーメンにすっかり嵌ってしまって、子供の頃って親が給料日だと外食に行くんですが、父親は焼肉行こうとか、ちょうどファミレスが台頭してきた頃だったのでハンバーグ食べに行こうとか言うんですけど、僕はラーメンを食べたいっていつも言っていました。今みたいにラーメン専門店はあまり無かったので、中華料理屋さんとか蕎麦屋さんのラーメンを食べていましたね。」

 

- いつかラーメン屋をしたいという気持ちは?

「全然無かったです。高校の時に居酒屋でアルバイトをしていたこともあるんですが、まさか自分が何かを作って提供するっていうイメージさえできなかったですね。」


- 作る側になるきっかけは?

「営業の仕事も一生売れ続けることは無いだろうと思っていたので、30歳を過ぎた頃に現場の仕事に戻ったんですが、現場で怪我をしてしまってしばらく休んでいた時期があったんです。その時に『このまま老後を迎えたらどうなっちゃうのかな?』と思ったんです。このまま何も自分の夢とか追いかけないで、自分の人生が終わってしまうのはどうなのかなって。

 それで『自分は何がしたいんだろう?』と考えた時、ずっと好きだったラーメンが頭に浮かんだんです。365日ラーメンと一緒にいようと思ったら、作る側になればいいんだと思いました。」

 

- どこからスタートしたんですか?

「ロックンロールワン(69'N'ROLL ONE)ですよね。当時も食べ歩きをしていたので、とても話題になっていた『水鶏系』の元祖、ロックンロールワンに食べに行ったんです。移転前の一番最初のお店ですね。あそこで鶏と水と醤油だけで作ったラーメンを食べた時に電撃が走ったような衝撃を受けました。『こんなラーメンがあるんだ!』と驚きましたね。

 それからしばらく経ってから、町田のラーメン好きが集まる飲み会で嶋崎さん(ロックンロールワン店主)とたまたまお会いしたんです。その時にいろいろお話をさせていただいて、お店の手伝いをすることになりました。当時の嶋崎さんは1人で全部しているスタイルだったので、僕は営業前の準備とか約2年ほどさせてもらいました。」

 

- お手伝いしている期間で印象に残っているエピソードはありますか?

「昆布水つけ麺が誕生した時、僕もちょうどその現場にいたんです。嶋崎さんはつけ麺を甘辛酸じゃなく、レギュラーのスープで美味しく食べられるようにしたかったんです。でも細麺だとくっつきやすい。それで一番最初の試作の時は"煮干し水"と"昆布水"に浸かっている麺が並んでいて、試食、比較を繰り返しながら、『昆布のグルタミン酸と鶏スープのイノシン酸による口中での相乗効果が凄い!』ということになり、昆布水つけ麺の誕生となったんです。」

 

- ラーメンを作ることへのアドバイスも?

「嶋崎さんに『30㎝の寸胴で練習するのがいいよ!』とか『チャーシューの煮汁を美味しいラーメンにする練習をしなさい!』とか言われたのを今でもよく憶えています。チャーシューを煮てそれをスープにして、チャーシューの豚を浸けたタレを醤油ダレにしてラーメンを作る、そこから始めなさいって教えてもらいました。

 そこからですよね。ラーメン屋になりたいって一心だけで、他の仕事をしながら家で自作を7年ほど続けていました。その間に他のお店で働いたりもしましたけど、ラーメンの作り方を教えてもらったりはしていないんです。不安ではありましたけど、やっぱり自分でやらないと意味が無いなと思いながら家でずっと勉強していましたね。」

 

- 間借り営業をしていたのもその時期ですか?

「そうですね。人形町にある某店の店主さんが『定休日にウチのお店を使っていいよ。もうどこかで働くんじゃなくて、ここからステップアップして自分のお店を出した方がいいよ』と言ってくれました。

 そして間借り営業をしている頃にこの店舗(現店舗)が空くと聞いたんです。ココの大家さんが僕の間借り営業のラーメンを食べてくれていて、それで連絡をくれたんです。縁も所縁も無い土地でしたが、どこでやっても駄目な時は駄目だし場所は関係ないなって思い、ここでやると決めました。」

 

- 間借り営業時の屋号は??

「ガイ・キッチンでした。提供していたラーメンはココでするラーメンの前身、会津地鶏の醤油ラーメン。他には牛骨とか豚もやっていましたね。」


ラーメン屋トイ・ボックス(2013年12月15日オープン)


- 屋号の由来は?

「ラーメン屋っぽい名前にはしたくないなっと考えていました。自分の原点を振り返った時、ラーメンを好きになったのが3歳の頃。子供の時って新しいおもちゃが増える度にワクワクしながら箱を開けるじゃないですか。でも大人になるとそういうワクワクする気持ちが無くなっていってしまう。だから自分が子供の頃のワクワクした気持ちを忘れないでラーメンを作りたいなって。そして食べに来てくれたお客様が醤油、塩、味噌、選ぶことでワクワクしてもらえる。自分が食べ歩きをしていた頃、やっぱり嶋崎さんのお店に行く時って『今回の限定ってどんなだろう?』とかワクワクしながら食べに行っていましたから。それで屋号をトイ・ボックスに決めました。」

 

- オープン時の商品は?

「最初は醤油だけでしたね。ボタンは一応、塩も作っていました。僕自身もまだ勉強不足だったので、鶏だけでなく豚、煮干しとか使っていました。いろいろな食材の出汁の出方を勉強しなければならないなと考えていました。いろいろ試しながら、4年目に今の"鶏と水"に切り替えました。」

 

- 鶏と水(水鶏系)に切り替えるきっかけは?

「やっぱりロックンロールワン、そしてちょっと前に飯田商店さんも水鶏系に切り替えていたので、自分もやりたかったんです。ただ、やったこと無いものをレギュラーにするというのは怖かったんですよね。どこかで自分で背中を押さないといけないなという気持ちがあったので、2016年8月28日に"らの道"というイベントで『鶏と水』という1日限定ラーメンを出しました。"鶏と水"を商品としてお客様に提供したのはその時が初めてでした。そして、その翌年の2017年1月から"鶏と水"のスープに全面リニューアルしました。」

 

- つけ麺をしないのは?

「僕はつけ麺をあまり食べないんですよ。やっぱりラーメンが好きなんですよね。つけ麺を食べない人がやっても説得力がないかなって思っているんです。」



- 東京のトップクラスのお店としてのプレッシャーとかは?

「僕自身はそこに立っているという意識は無いんです。今も何が正解か分かっていない部分もありますし、自分が美味しいを決めるわけじゃない。ただ、毎日作っている中でも何か気づくようにはしたいなと思っています。これをこうしたらどうなるんだろうとか、例えば温度を上げていく時の過程でもこれを何分にしたらどうなんだろうとか、そういう意識は凄いしています。前に進めていたらいいなとは思いますけどね。

 嶋崎さんを傍で2年間ほど見ていましたが、嶋崎さんはラーメンのどこを見ているのかなとか分からないくらいラーメンのことを見ていました。ああいう憧れられる人がいるから、自分自身が一番になりたいとかは無くて、只々、美味しいと思ってもらえるように作れればいいなと考えています。」

 

- 将来が不安になっていた頃の自分から見て、今の自分は?

「そうですね~。ちょっと出来過ぎなのかな?『こうなりたい!』と願っていたようには歩けているんじゃないかな。足元をちゃんと見据えて、これからも前を向いて歩いていけたらと思います。あの頃の自分には『調子に乗るなよ!』と教えてあげたいですね(笑)。」

 

- 山上さんが一番大事にしていることは?

「その質問はよく聞かれるんですよ。逆に『大切じゃないことは何かな?』って思うんです。人が食べるものを作るわけなので、美味しくて安全であるということを意識しています。あとは現状に満足しないってことですかね。」



 <店舗情報>

■ラーメン屋 トイ・ボックス

東京都荒川区東日暮里1-1-3

公式HP:http://toybox20131215.web.fc2.com/index.htm

公式ブログ:https://ameblo.jp/toybox1215/

twitter:https://twitter.com/kumahige_2

 (取材・文・写真 KRK 令和2年2月4日)