今回取材するお店は"中華蕎麦 生る"。"生る"でナルと読む。最初にこのお店を知った時は屋号の読み方が分からなかったが、オープン直後のお店に来ると既に行列店となっていて驚いたものだ。当時の名古屋市ではあまり出会わない濃厚つけ麺、そして清潔感ある広々とした店内。並んでいるお客様のワクワクした表情。「凄いお店が現れたな~」と感じたのを憶えている。
あれから約3年が経ち、名古屋を代表する人気店となった今、取材する時間を作っていただいた。"中華蕎麦 生る"弓長店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「生まれも育ちも名古屋です。」
- ラーメンは好きだったんですか?
「高校の頃に豚骨ラーメンブームがあって、僕も豚骨ラーメンに嵌っていて高校から大学時代は豚骨ラーメンばっかり食べていましたね。地元の大曽根に"九州楼"というお店が当時あって、高校生の時にアルバイトで稼いだお金で毎日そこでラーメンを食べていました。」
- 当時、ラーメン屋をしたいという気持ちは?
「何となく『ラーメン屋さんいいな~』とは思っていましたが、当時はやりたいことがあったのでその道に進みました。」
- やりたかったのは?
「ラーメン以上に映画が好きで、映画監督になりたかったんです。大学時代は8㎜カメラをカラカラってまわして映画を撮ったりしていました。今はPCで編集できますけど、当時はフィルムだったので自分で切って、繋げてってしていたんですよ。
そして大学を卒業して東京へ行って、まずはテレビのADから始めて、30歳の頃にディレクターになりました。それから本格的に番組作りを始めて、それをきっかけに映画の世界に進みたいと思っていたんです。でも自分がいざディレクターになって番組を作ったら、自分に才能が無いことに気づいたんです。なかなか思う通りに面白い番組が作れなくて、『あ~、才能ないな~。』と悩んでいました。このままこの世界で生きていくのか、別の世界に転職するのか、2~3年悩んでいました。その時に『もし転職するなら何をするんだろう?』と考えた時に、ラーメン屋をやりたいなって思ったんです。」
- 東京でもラーメンを食べていたんですか?
「ラーメン雑誌を買って食べるってほどでなく、近くで食べていましたね。あとはテレビの番組で全国を飛び廻っていたので、その行先でラーメンを食べていたくらいでした。ラーメンの作り方とかは一切知らなかったです。」
- ラーメン屋をやりたいと思ってからは?
「やっぱり将来映画を撮りたいと覚悟を決めて東京に来ていたので、そう簡単にあきらめられなかったですね。なんとか自分が成長できるように努力はしたんです。でもなかなか上手くはいかず、2~3年悩んだ挙句に、転職を決断しました。悩んでいるくらいだったら、一回白紙に戻して、自分の身の丈に合った世界でやっていこうと思いました。ラーメンだといろんな業種から集まってきて好きにやっているので、自分でもやっていけるんじゃないかと思いました。」
- それから修業するお店を探すんですね?
「以前の仕事を離れてから、しばらく食べ歩きましたね。ラーメン好きでラーメン屋をやりたいと思ったんですけど、やっぱり生活があるので生きていかないといけない。自分は飲食で働いたことがない。こんな自分がどんなラーメンを作ったら生活の基盤を作れるのかなと考えました。若い頃には豚骨が好きだったんですけど、その当時はあっさりした醤油ラーメンが好きになっていたんですよ。でも『あっさりの醤油で勝負して自分は勝てるのかな?』と考えた時に勝てないと思ったんです。
当時、東京はつけ麺ブームでした。道、とみ田、一燈、つけ麺が美味しいところが大人気だったんです。つけ麺はまだ歴史が浅かったので、自分が飛び込んでもこのジャンルなら勝てると思ったんです。」
- 修業店を決めた理由は?
「いろんなお店を食べ歩いて、一番気に入ったお店が"つけ麺 道"でした。そして『働かせてください』とお願いしたんですが、『今は人がいっぱい』と断られました。『空いたら連絡するし、もしすぐに働きたいなら他の店の紹介もできるよ』と言われたんです。
それから1カ月ほど経って、『やっぱり他の店を紹介してもらおう』と電話をしたら、『お~!ちょうど1人空くんだよ~』となって、面接をしてもらいました。それで今までの流れを全部話して、ラーメンの世界で働きたい。つけ麺で勝負したいと話して、お世話になることになりました。」
- 修業は何年くらい?
「面接の時に『もう若くはないので長くは働けない。3年間一生懸命するので修業させて欲しい』と正直に伝えて受け入れてもらいました。」
- 初めてラーメン屋で働いて?
「もう全てが新鮮でしたね。目をキラキラさせて仕事をしていたと思います(笑)。毎日が楽しくて仕方なかったです。『あ~こうやってスープを作るんだ。こうやってお客様に気遣いしているんだ。』って。そして毎日お客様の行列ができるのを見るのも楽しかったです。」
- 名古屋に戻ると決めていたんですか?
「面接の時に名古屋に帰りたいと伝えていました。当初は東京でやろうと思ったんですけど、新参者の自分がポンっと入っても勝てないと思いました。あと母親が体調を悪くしていたので長男の僕が近くにいなければという気持ちもありました。」
- 名古屋のラーメン事情は調べていたんですか?
「道で働く前、つけ麺で勝負しようと決めた時に、名古屋の友達に『名古屋のつけ麺人気ってどう?』と聞いたら、ほとんどの友達が『つけ麺を食べたことがない』と言ったんですよ。理由を尋ねると、『なんでわざわざ冷たい麺を温かいスープに浸けて食べないといけないの?』ということだったんです。当時の名古屋はまだそんな状態だったんです。『これなら勝てるかも!』と思いました。」
- 「勝てる」という言葉がよく登場しますね。
「やっぱりテレビの仕事で負けて、凄く悔しい思いをしたので。変な言い方ですけど、ラーメン屋をする時に美味しい美味しくないとかよりも、『勝てるかな?負けるかな?』という基準で選択しながら開業にこぎつけていったんです。」
中華蕎麦 生る(2016年10月21日オープン)
- この場所に決めた理由は?
「東京にいる時から、ネットで地元の大曽根近辺、今池、千種、ドームがある場所とか探していたんですよ。それから名古屋に戻ってから1年間くらいかけて場所を探していました。地元の大曽根は全く物件が無くて、この場所はテナントがずっと空いていたんですよ。何人かの友達に聞いても『ここはやめとけ!』って言われたんです。でも僕は『ここでやったら勝てるな!』と何となく思いました。直観でしたね。
それで自分で現地に来て、人通りや雰囲気を見ていました。駅から歩いて10分くらいなので、歩けないことはない。前の道路は交通量が多いし、目の前にバス停がある。店の前のスペースが広いから、バイクで来た人も停められる。いろんな手段でお店に来てもらえると思いました。それでこの物件に決めました。」
- 屋号の由来は?
「当初は自分の名字にしようと思っていて、麺屋弓長とか考えていました。只、名字を屋号にするというブームが終わっていたので、ちょっと悩んでいました。
ある時に名古屋の友達に絵描きさんがいて、その友達の個展を見に行きました。すると目の前に大きな林檎の絵があったんですよ。『うわ~!!凄い絵だな~』と思い、タイトルを見てみると"生る"って書いていたんです。その時は読みが分からなくて、その場で携帯で調べたら"生る(なる)"という読み。木の実が生る。果実が生る。常用漢字じゃないんですよね。『凄くいい言葉でこの絵にはピッタリのタイトルだな~』と思っていました。それで屋号を考えた時にこの言葉が浮かんできたんですよ。『生るっていいな~』と思い、それで決めました。」
- 中華蕎麦は??
「"つけ麺と付けると、つけ麺だけのイメージになってしまう。ラーメンもしたかったので、とみ田さん(中華蕎麦 とみ田)のこともリスペクトしていたので、"中華蕎麦 生る"としました。」
- 自分のお店で提供する商品は、早くから決めていたんですか?
「"道"でしていたつけ麺、"道"が月曜と火曜に二毛作をしていた時のラーメン。とりあえずはその二本で始めようと決めていました。そして軌道に乗ったら、もうちょっと自分がやりたいものを作ろうと考えていました。」
- すぐに行列店になっていましたね?
「僕は長くマスコミの人間だったので、マスコミの考え方が分かっているんです。オープンを10月にした理由は、テレビの改変期って春は3月~4月、秋だと9月~10月頃で、この頃に番組が大きく入れ替わるのでマスコミは新しい情報が欲しいんですよ。だからその頃にオープンしたら取り上げられやすいと分かっていたんです。それでオープンして半年の間にテレビの取材が5本もありました。それで多くのお客様が来てくれるようになりました。」
- 計画通りのスタートだったんですね。
「只、麺がガチガチだったり、スープがブレたりとか、自分の腕の未熟さを感じていたんですよ。でも自分の実力以上にお客様が来るのでとても戸惑っていました。名前が先行し過ぎていたんですよね。
とにかく3年間はお店を知ってもらおう。土台作りをしっかりして、その間にやってきた経験を元に味を変えようと思ってやっていました。だから来年1月に全面リニューアルします。」
- えっ(驚)?極秘情報ですね。今のメニューをやめるって意味ですか?
「はい。全く残さないです。4年目からは新しいこと、自分がやりたかったことに挑戦しようと決めています。12月いっぱいで今のメニューは終わりです。ポスターももう作っているんですよ。」
- 新たに挑戦する商品について教えてもらえますか?(2019年11月24日現在)
「煮干しをガツーンと効かせた煮干しの濃厚つけ麺をします。豚骨、鶏ガラを煮込んで、煮干しを大量に入れるという感じですね。そして麺はかなり変わります。」
- 麺にさらに拘っていく?
「仲良くさせてもらっている上野さん(上野店主)からの影響が強いですね。上野さんはとにかく麺に拘る人で、食べに行く度に麺が進化しているんです。知り合ってからは麺について多くのことを教えてくださっていて、凄く勉強になっているんです。それで今、新しい麺を試作しているところです。麺がだいぶ向上したので、麺を食べてもらいたいという気持ちが強いですね。」
- 「煮干し濃厚つけ麺」を選んだ理由は?
「東京にいた頃から、僕は煮干しが大好きだったんですよ。名古屋にも煮干しの人気店がいくつかあるんですが、まだ東京ほど煮干しのカテゴリーが強く出来上がっていない。これならまだ勝てる余地があると思いました。僕がやることの条件としては、自分が好きで、尚且つ勝てる。この両立が大事なんです。」
- 他のメニューは?
「煮干し濃厚つけ麺を試作したんですけど、女性や子供は食べられないなと思ったんです。だから偏ったら駄目だなと思って、ラーメンは100%鶏白湯をするつもりです。濃いんですけどクリーミーで、これは女性向きだなと思っています。
そして、もう1つは清湯をやろうかなと思っているんですけど、まだ試行錯誤で完成していないんです。方向性としては煮干しで考えています。」
- 最後の質問です。弓長店主が大事にしていることは?
「お客様が納得する前に、自分が納得できるかどうかということです。2016年にオープンしてからの3年間は、自分は全く納得できていないんです。でも土台はしっかりできたので、4年目からはきちんと自分が納得することを主体に仕事をしていきたいと思っています。やっと自分のやりたいことを本格的にできるなと思っています。」
<店舗情報>
■中華蕎麦 生る
愛知県名古屋市千種区豊年町3-18
公式ブログ:https://ameblo.jp/naru-nagoya/
オープン日:2016年10月21日
(取材・文・写真 KRK 令和元年11月24日)