今回取材するのは、三重県桑名市にある"らぁめん登里勝"。三代続く寿司屋の寿司職人が「昔食べたラーメンの思い出が忘れられない」と自らラーメン店を始めたというお店だ。寿司職人として培った技術、経験を活かした和テイストの一杯は、正に心に染み入るラーメン。
屋号の由来、思い出のラーメン、いろいろ聞いてみたいことがある。昼営業終わりに時間を作ってもらい取材をさせていただいた。"らぁめん登里勝"丹羽店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「生まれも育ちも桑名市です。」
- 料理の世界に興味を持ったきっかけは?
「実家が戦後から続いている寿司屋で、僕で三代目。なので子供の時から出前に行ったり、洗い物したりと手伝っていました。ちょうど70年になりますね。」
- 早くから将来は寿司屋を継ぐと決めていたんですか?
「親の仕事をずっと見ていたので、最初は嫌でしたね。寿司屋って土日でも休めないじゃないですか?若かったのでそういうのが嫌でした。でもやることが無くて、(親に)甘える感じで寿司屋に入れてもらったのが20歳の頃でした。
それから一旦離れて、魚とか勉強しようと思って市場で働いていた時期もあります。そして24歳の頃、この店を建て直した時に、親から『そろそろ戻ってこい』という話があって戻ってきました。戻ってきて3年後くらいに僕が3代目として代表になり、それから20年ほど寿司屋をしていました。」
- 元々、ラーメンは好きだったんですか?
「昔から大好きでした。遠くに食べに行くとかでなく、例えば焼肉屋でメニューにラーメンがあったら注文してしまうとか、店が終わった後に親と一緒に屋台のラーメンを食べに行くとかでしたね。この辺りに昔は屋台があったんですよ。僕は屋台でじっとラーメンを作っているのを見るのが好きだったんですよね。」
- ラーメンの自作とかは?
「賄いとかでラーメンを作っていましたね。父親がいる時は絶対に許されなかったんですが、自分の代になってからちょっとお客様に味見をしてもらったりとかね。
最初に作っていたのはド豚骨。豚骨とかは寿司屋にとっては未知の世界なので楽しかったんですよね。それから鶏を入れたり、野菜を入れたりしていました。魚ってのは最初はあまり考えていなかったです。」
- そしてラーメン屋をしたいと思い始めるんですね。
「寿司屋は夜営業だけだったので、昼だけラーメン屋をしてみようと思いました。最初からけっこういろいろ出していましたよ。柚子塩、今のとは違いますけど醤油、背脂。焼きサバ寿司、いなり寿司は当時から出していました。蛤はまだしていませんでした。」
- ラーメン作りは自己流になるんですね。
「当時はラーメン屋の知り合いはゼロでしたから、雑誌やラーメンの漫画からヒントをもらったりして、自分でいろいろ作っていましたね。」
- ラーメンを始めてお客様の反応は?
「全然宣伝もしていなかったんですが、けっこう評判がよかったんです。『寿司屋のラーメンって美味しいねで終わりなんだけど、ここのラーメンはラーメン屋に匹敵する』とよく言われていたんですよ。お世辞とは思っていたんですけど、自分もそれなりに自信があったので調子に乗って(笑)。それで限定とかもするようになって、更にラーメンに嵌っていきました。」
らぁめん登里勝
- ラーメン専門でしようと思った理由は?
「ラーメン屋と寿司屋、やっぱり両方を続けるってのは無理なんですよね。それでどっちをするかと考えた時に、ラーメンをやりたくて仕方なかったんです。失敗したらやり直したらいいって思い、ラーメン専門でいく決心をしました。」
- 屋号の由来は?
「経緯を言うと、初代は戦後すぐの時代に寿司だけでなく、鰻、鶏料理、何でも出していたそうです。おじいさん(初代)が勝友って名前、鳥料理も出していたので"鳥勝"という屋号でした。それで2代目が寿司屋に修業に行って寿司屋をしたいとなり、でも名前は残したいということで字だけ変えて"登里勝"としたんです。それから僕が継いだんですけど、今更屋号も変えれないのでそのままでしています。」
- 現在の看板である蛤はいつから?
「蛤を出し始めたのはオープンして2年半ほど経った頃ですね。最初は限定でしていて、途中からレギュラー化になりました。元々はウチの看板として煮干しとか魚のアラでとったスープでと考えていたんです。桑名では地元の人は蛤をお金出して食べないというイメージだったんですよね。漁師さんからもらえますからね。だからラーメンに蛤を使っても売れないだろうと思っていたんです。それに年中しようと思ったら、桑名産と輸入のもの、両方を使わないといけないですからね。」
- 使い始めるきっかけは?
「季節限定でちょっと蛤のラーメンをしたらけっこう反応が良かったんです。それにいろんなラーメン屋さんと知り合いになって、桑名なら蛤を使うのがいいんじゃないかってアドバイスも頂いたんです。それから"大つけ麺博"の予選で蛤ラーメンを出したら予選を通ったんですよ。そういうのもあって、蛤を使っていこうかと決めました。」
- 自家製麺はいつから?
「ラーメン専門でするタイミングで自家製麺に切り替えました。最初は製麺機のメーカーの方にやり方をレクチャーしてもらって、それからは自分で試行錯誤していました。色々な店主さんに教えていただいたのを参考にしながら、自分なりに納得いくまでという感じでしたね。」
- "焼きサバ寿司"や"いなり寿司"をサイドメニューとして残しているのは?
「いなり寿司は寿司屋時代から『これをラーメンと出したら合うだろうな~』と思っていたんです。焼きサバ寿司は寿司屋時代には出していなくて、ラーメン屋をすると決めた時に考えたものです。『押し寿司みたいなのを何か出したいな~』と考えていて、それで思いついたのが焼きサバ寿司なんです。」
- 丹羽店主が大事にしていることは?
「今は自分のルーティンを守ることです。仕事の日と休みの日、オンオフのメリハリをつける。必ず何時に麺を打つ、何時にスープを炊き始める、何時に寝るとか、仕事の時は凄く拘っています。それができるようになったのもラーメン屋になったからです。
食材の拘りとかは当たり前で言うことでもない。魚も同じなんですけど、いい魚ってのは名前を見れば分かる。高いブランドものは良いのは当たり前。そうじゃないものから良いものを見つらけれるというのも1つの目利き。例えば、鯛とかでも天然と養殖がある。養殖でも技術とか魚を知り尽くしていれば、天然に負けないようなものを作ることができます。僕はそういうことを寿司屋時代にありがたい事に身につけています。子供の時から親の仕事を見て育ってきて、自分のそういう経験、技術を生かしていくことを大事にしています。
もう1つ大事にしていることは、休みの時はしこたま酒を飲むことですね(笑)。」
<店舗情報>
■らぁめん登里勝
住所:三重県桑名市京町39
公式HP:http://www.ra-mentorikatsu.com/
twitter:https://twitter.com/torikatu24
(取材・文・写真 KRK 令和元年11月18日)