Vol.141:モヒカンらーめん 味壱家


 久留米市に圧倒的な存在感を放つラーメン屋がある。屋号は"モヒカンらーめん 味壱家"。一度聞いたら忘れられない個性的な屋号、そして店主の髪型も創業時からずっとモヒカンだそうだ。

 豚骨の聖地でずば抜けた人気を誇るモヒカンらーめんがもうすぐ20周年を迎える。このタイミングで取材する時間を作っていただいた。"モヒカンらーめん 味壱家"於保代表にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「久留米です。」

 

- ラーメンはずっと好きだったんですか?

「久留米で育った僕たちにとってラーメンは日常食。例えば、福岡で言えば『もつ鍋』とか『水炊き』とか有名ですけど僕たちは家で作るんですよね。家庭料理なんです。ラーメンって日常食なんですけど、家で作らないので家庭料理じゃないんです。」

 

- 久留米ではラーメンといえば豚骨?

「僕たちにとってラーメン=豚骨。他に選択肢が無かったですからね。味噌ラーメンといえばサッポロ一番の味噌ラーメン(インスタントラーメン)。とにかく豚骨だけでしたね。そしてラーメンって普通に当たり前に食べるんですが、やっぱり御馳走なんです。みんなで「ラーメン行くぜ~」とか盛り上がっていましたからね。当時はラーメンが当たり前過ぎて、自分が仕事にするとかは全く考えていなかったです。」


- ラーメンをしようと思ったきっかけは?

「仕事はいろいろしていたんですが、記憶の中に色が全く付いていない。ただ食べるため、ただ生活のためだけに仕事をしている。ただただ生きているという感じでした。そして20歳の時に大きな挫折をしたんです。その頃にたまたま美味しいと評判のラーメン屋に行ったんです。そこの店主がめちゃめちゃ明るくて、たった400円のラーメンでこんなに人を笑顔にできる。こんなに人に感謝される。凄いな~と思いました。」

 

- 今まで行っていたお店と違ったんですね。

「後に自分の修業店になるそのお店は、厨房と客席の距離が近かったんです。丼の湯気の向こうに店主が見えて、『また来てくれたか、ありがとう!』って。湯気の向こうに見える笑顔とありがとう。当時の自分はその言葉が欲しかったんだな~と思います。それで当時していた土木作業の仕事より給料が半分になるけど、ラーメンの世界に入ることを決めました。」

 

- そのお店では何年ほど?

「アルバイトから入って、社員になりました。約5年ほどお世話になりました。」

 

- 修業店を離れてからは?

「いろんな理由で修業店から離れることになりました。その時にラーメンへの気持ちも一度冷めてしまって違う仕事をしていたんですが、ちょうどその頃(1999年11月)に『ラーメンフェスタ in 久留米(@久留米百年公園)』というイベントがあったんです。『志那そばや』佐野実さん、『一風堂』河原さん、全国から錚々たるメンバーが久留米に集まってきて大盛況(来場者約14万人)でした。それを見に行った時に、『あ~、俺は逃げていたな』と思いました。ラーメンでこれだけ人が集まって、笑顔になっている。俺は人を笑顔にするためにラーメンを始めたのに何をしているんだ。やっぱり俺はラーメンがしたいなと思いました。」



- 自分の店へ動き始めるんですね。

「お金なんて無かったので、ラーメンは作れるけど売る場所がない。だから自宅の倉庫を改装してスープを作れるようにして、例えばサーキット場、何かのイベント時にラーメンを出させてもらったり、知り合いの雀荘や居酒屋でラーメンを作ったりしていました。自分の髪型がモヒカン刈りだったので、"モヒカンらーめん"として営業していました。」

 

- それから店舗化に?

 「子供を授かって、妻の両親から出産祝い金をいただいたんです。そのお金を敷金に小さいボロッボロのお店を始めました。今から約19年前、2000年です。」

 

- 屋号「味壱家」の由来は?

「僕が一番最初に家族を持つ。味を通じて1つの家族を持つって幸せだなと思い、味壱家。友達からは『家系と間違われるよ!』と言われたんですけど、当時の久留米の人は家系とか知らなかったですからね。」

 

- 店舗化前に使用していた「モヒカンらーめん」は?

「お店を出す時に『このままモヒカンらーめんでお店を出していいのか?』と自分で自問自答していたんです。ふざけていると思われるんじゃないか?って。それで一旦、『味壱家』でオープンしたんですけど、イベントで出していた頃のお客さんから『モヒカンじゃないと分からないよ』と言われることもあって、家系とかの関係もあったので、『それなら合体させたらいい!』と思いました。それで『モヒカンらーめん味壱家』にして、オープンから1年後に新しい屋号で暖簾を作りました。」


モヒカンらーめん福岡店(2019年9月30日撮影)


- モヒカンらーめんで提供する商品は?

「いろんなラーメンを試作したんですけど、やっぱり修業元の作り方が理にかなっていました。当時、妻のお腹にいた子供、自分の子供に食べさせられるラーメン。そして次の世代を担う子供たちに食べさせられる安心、安全なラーメン。化学調味料も極力使わないようにして、国産素材に拘って作りました。」

 

- 今回いただいたレモンらーめんは珍しいですね!

「元々は柚子でしていたんですが、通年で提供できるように途中からレモンに変更しました。どうしても豚骨の臭いが苦手な方もいるので、そういうお客様にも楽しんでいただけるようにと開発した商品です。」


レモンらーめん


 - オープンしてからお客様の反応はどうでしたか?

「最初は全然ダメでしたね。店がボロいのと、戦略も戦術も無い。8年くらいは全然駄目でした。それでいよいよ駄目になってきて、常連さん達に『もう店を畳むしかない』と話したんです。すると、皆さんが『僕のラーメンが大好きや!』と言ってくれて、仲間内で店の改装までしてくれたんです。それが第一の転機でしたね。」

 

- それからお店も順調になっていきましたか?

「『一緒に働きたい!』と弟子が入ってくれたんです。それまでの僕は『いざとなったらラーメン屋を畳んで、土木作業をして家族を養っていけばいい』と考えていたんですけど、新しく入った弟子の人生も背負わないといけないと決心して、中途半端な気持ちは一切捨てました。

 その頃からテレビの取材が入るようになって、朝の準備を終えて扉を開けると外に行列ができているようになり、そこから成長していけましたね。」

 

- 屋外イベントへの参加については?

「当初はああいうのに全然出る気が無かったんです。東京ラーメンショーも出る気がなかった。でも久留米ラーメン会という会ができて僕が副会長になり、モヒカンらーめんのためじゃなく、久留米という地名のブランディングのために参加することにしました。」

 

- 屋外イベントに出て、どうでしたか?

「全国に出てから初めて気づいたんですが、豚骨、味噌、醤油ってジャンル分けされる中で、『九州の豚骨、どこも一緒なんでしょ? 博多でしょ?』で終わるんです。僕たちは拘って久留米豚骨を作っているのでショックでしたね。『これだけ違うのに!』って。豚骨ラーメンが約83年前に誕生したのが久留米なんです。イベントの影響で久留米豚骨の知名度も上がりまして、参加してよかったと思っています。」

 

- 最後に於保代表が大事にしていることを教えてください。

「一番大事なのは嘘をつかないってこと。そして人間尊重ですね。社員さん、アルバイトさんの人間性、将来性を大事にしたい。ウチは人生の通過点でいい。行く行くはウチの社員さん達を暖簾分けして、みんな社長にしたいなと思っています。」


【動画】於保代表:麺上げパフォーマンス


 <店舗情報>

■モヒカンらーめん 味壱家

福岡県久留米市津福本町221-11

公式HP:http://www.mohikan-ramen.com/i/

twitter:https://twitter.com/mohikanramen

facebook:https://www.facebook.com/mohikanramenajiichiya/

 

世界のモヒカン 文化街店

福岡県久留米市日吉町15-6

 

■モヒカンらーめん 福岡店

福岡県福岡市東区蒲田1-11

 (取材・文・写真 KRK 令和元年9月30日)