Vol.137:らーめん工房 RISE


 今回取材するのは八尾市の人気店「らーめん工房RISE」。2010年8月のオープン時から、いや、正確に言うとその前身(移転前)である「がんこ親父」が2010年1月にラーメン専門店としてリニューアルした頃から定期的に通っているお店だ。

 両親の跡を継いだ息子さんがしっかり味と店を守り、地域に根付き、地元客に愛されるお店となっている。9周年を迎えた今、ゆっくり話を聞きたいと思い、店主にお願いして取材をする時間を作っていただいた。"らーめん工房 RISE"冨永店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「僕が生まれた時は、両親が奈良県の平群町に住んでいたんです。でも僕が生まれて数か月で大阪へ引っ越してきたので、育ったのは大阪です。」

 

- 飲食をするきっかけは?

「元々、ウチの親が東成区(大阪市)で財布や鞄の製造卸をしていたんです。そして製造卸をしながら飲食業もしようかという話になり、居酒屋を始めることになりました。当時、僕は別の会社に勤めていたんですが、親父が『居酒屋を一緒にやるか?』と言ってきたので、一緒にやることに決めました。」

 

- 元々、冨永さんも飲食をやってみたかったんですか?

「いつかは両親の製造卸の仕事を手伝うとは考えていたんですが、飲食をするとは全く予想していなかったですね。

 

- 居酒屋はどうでしたか?

「何の技術もノウハウも無いので自分たちでもやれるチェーン店を探していて、養老乃瀧を始めることになりました。それが1996年で、僕が19歳の頃でしたね。」

 

- ラーメンはいつ登場するんですか(笑)?

「養老乃瀧を3年ほどした頃、親父が『ラーメンをしたい!』と言い出したんです。チェーン店では勝手にラーメンを出したりできないので、親父がハイエースを改造し移動販売できるようにして、あちこちに行ってラーメンを販売し始めました。それがラーメンをする始まりでしたね。」

 

*ここで隣で聞いていたお父さん(先代)にも質問。

- 移動販売の時の屋号は?

お父さん(先代)「屋号は『冨蔵』。冨永の冨、そして『ラーメンで蔵を建てよう!』と思ってたので蔵。それで冨蔵にしました。提供していたのはオーソドックスな醤油ラーメン。あちこち良い場所を探して、中央環状でやったり、アメリカ村でやったりしていましたね。」

 

- ラーメンは自己流だったんですか?

お父さん「移動販売をする前、ラーメンを学ぶために某ラーメン店でアルバイトを少しして、皿洗いをしながらいろいろ技術を学んできました。」

 

- 移動販売から店舗化へ繋がるんですね?

お父さん「養老乃瀧の売上より、屋台のラーメンの方が良かったんです。それで『ラーメンをメインにした方がいいな!』と思いました。チェーン店では勝手にラーメンを出したりできないですからね。それで養老乃瀧をやめて、『がんこ親父』として独立しました。」


*ここから再び冨永店主にインタビュー

- がんこ親父はどうでしたか?

「ラーメンをメインにしてからもなかなか巧くいかなかったですね。それで出前をしたり、餃子の通信販売をしたりしていました。お店はラーメン屋ですが、定食類も増やしていって途中から内容的には中華屋になっていましたね。そのまましばらく出前とかしながら営業していたんですが、僕自身、やっぱりラーメン一本でやりたいって気持ちがありました。それで金久右衛門の大蔵店主に相談させてもらいました。」

 

- 大蔵店主とは面識があったんですか?

「ウチがラーメンの暖簾を出した時に中華料理組合の人が勧誘に来て、その組合に金久右衛門さんも入っていたんです。その繋がりで知り合うことになりました。

 それからいろいろアドバイスを頂き、試作をして味を見てもらってを1年以上していましたね。その時に、まだ店舗展開をしていなかった大蔵さんが『ウチの支店としてやるか?』と声をかけてくださったんです。とてもありがたかったんですが養老の頃の経験もあったので、やっぱり自分の味でやりたいという想いを伝えました。すると大蔵さんは『姉妹店だと繋がりあるみたいになるので、兄弟店がいいんじゃないか?兄弟の盃みたいな感じ。ウチと繋がってはいないけど、ちょっとでもプラスになれば』ということで、金久右衛門の兄弟店として紹介してくださいました。」


らーめん専門 がんこ親父(2010年1月20日リニューアル)


- 屋号はそのまま?

「元々は『がんこ親父の拘りラーメン』という屋号だったんですが、同じ場所で屋号を完全に変えても変なので、ラーメン専門がんこ親父にしました。でもその屋号を見て『頑固親父って誰や?一回味見してやるわ!』って攻撃的なお客さんもたまに来ていたんですよ(笑)」

 

- 提供していたラーメンは?

「それまでのラーメンはやめて、試作をしていた新しいラーメンに切り替えました。金久右衛門さんの味に近いブラック、そして塩ラーメン、この2本だけで始めました。」

 

- リニューアルしてから順調でしたか?

「ずっと10年以上してきた同じ場所なので、前のお店を知っている常連さんは店に来ても商品が違っているのでどんどんお客さんが減っていきました。新規客が増えるわけでもなく、このままだと潰れてしまうと思いました。それで一回リセットするために、移転が必要だと考えました。」


らーめん工房RISE(2010年8月2日オープン)


- この場所を選んだ理由は?

「僕自身、難波や梅田とか賑やかな都心部でするつもりは無くて、静かな町でやっているけどお客さんが来てくれるお店がしたいと思っていました。東大阪でずっと育ってきたので、この地域で物件を探していました。

 この場所を不動屋さんから教えてもらって見に来た時に、とても気に入ったんです。建物自体は古いんですけど、横に川が流れていて静かな場所。人通りや人口とか全く考えなくて、パッと見て気に入ったんです。」

 

- 屋号「RISE」の由来は?

当時、JUNKさん(JUNK STORY)やJETさん(ラーメン人生JET)、横文字のお店が増えてきていたんです。単純にかっこいいと思って、僕も横文字でやってみたいと思いました。

 RISEってのは『日の出』、『上り調子』とか明るいイメージがあったので、すぐにRISEという横文字を思いついたんです。RISEだけだと何の店か分からないので、らーめん工房と付けました。そしてRISEにも何か意味を持たした方がいいと思って、各文字を頭文字として『Ramen Interact Safe Entertainment』という横文字も加えました。」



- オープン時に提供していた商品は?

「最初は中華そば、河内の塩、焦がし黒醤油の3本でしたね。ブラックをメインにしても金久右衛門さんの二番煎じと思われてしまうので、ウチは塩でいこうと思っていました。そして途中から海老醤油を加えました。」

 

- 現在の商品の紹介をお願いします。

「塩は貝と煮干し、動物系は弱め。あっさりながら食べ応えあるものにしたいと改良を続けて、今は独特の味に仕上がってきたと思います。これを駄目だって思う人もいると思うんですけど、これがいいって方もいる。そういうことのも考えて、敢えてクセがある味に仕上げています。」

 

- 敢えてクセがある味?

「ウチの商品の味を作る時に一番考えていたのは、『ここにしかない味にしたい!』ということ。駅から遠いし、人通りも少ない場所。どこにでもある味にしてしまうと、ここまで来る必要が無いですから。」

 

- もう1つの看板「海老醤油」は?

「海老醤油は提供し始めた頃はガツンって海老が来るようにしていたんですが、今は海老がジワ~と来るように変えて、それから注文が増えましたね。」

 

- 最後に一言お願いします。

「ウチはいろんなラーメンを作るお店ではないですが、基本のメニューをきっちり大事に作り、微調整を繰り返しながら進化させていっています。ここに来ないと無い味、そういうのをこれからも目指していきたいと思っています。」


*最後にお父さん(先代)にも一言いただきました。

- お父さんから息子さんに一言お願いします。

「飲食業はやってみれば苦労の多い仕事ですが、それをずっと一緒にやってきてくれました。そしてウチの店は息子をトップにすることによって更に発展していくことになって、本当に息子には感謝しています。」



 <店舗情報>

■らーめん工房 RISE

住所:大阪府八尾市本町3-11-22

 (取材・文・写真 KRK 令和元年8月23日)