今回取材するお店に私が初めて訪れたのは、2013年3月。当時の私の札幌ラーメンの印象は「油分多めの濃い味のお店が多い」だったが、このお店でラーメンを食べてガラッと印象が変わったのをよく憶えている。素材の旨味をバランスよく合わせた一杯に感動し、そして寡黙な雰囲気の店主にも興味を持った。その時に店主と少し話したのは憶えているんだが、内容が全く思い出せない!今回はゆっくり話せそうだ。"凡の風"杉村店主にKRK直撃インタビュー!
- ラーメン屋になる前は何をされていたんですか?
「地元札幌で広告代理店の営業をしていました。あらゆる広告を扱う中に人事関連を扱う部署もあって、ある日、そこの原稿を見ていると募集年齢がだいたい35歳というのが多かったんです。ちょうどその時に自分が35歳だったんです。その仕事は楽しくて好きだったんですけど、若い頃から何か自分でやりたいなと漠然とですが思っていたんです。喫茶店とかライブハウスみたいなのをしたいなとかでしたね。その時に『企業が35歳くらいまでってしているのはどういう理由なんだろう?』と考えたんです。体力的な部分もまだ元気だし、頭もそんなにガチガチになってないし、ある程度社会経験もあるし。それで『僕なら今、何ができるんだろう?』と思いました。」
- 何が浮かんだんですか?
「その時に浮かんだのがラーメンでした。営業で外回りもしていたので、ランチで気になるラーメン屋さんに行くのが日課でした。当時、札幌には今のようないろんなラーメン屋がなかったですね。純すみ系、オーソドックスな札幌のラーメン。当時、一番勢いがあったのが"てつや"。豚骨に背脂を浮かせたラーメンですね。」
- ラーメンに興味を持って?
「それで『自分でラーメン屋ができたらいいな!』と思いました。一旗揚げてやろうとか気合入った感じじゃなくて、自分の店があって、営業が終わったらカウンターでスポーツ新聞を読んでのんびりしているようなお店。それで自分で飯喰っていけるくらいの収入があればいいなって。のんびりしたかったんです(笑)。広告の仕事って〆切に追われて大変でしたから。」
- どこかで修業したんですか?
「てつやさんに応募したんです。てつやさんの募集に『30歳くらいまで』と書いていて、僕は35歳だったんですが駄目元で応募したんです。でも、やっぱり駄目でしたね(笑)。」
- 他のお店も探したんですか?
「他店の募集も見ていたら、"らーめん初代一国堂"の募集を見つけました。『独立を応援します!』って触れ込みだったので応募してみると、面接の日が決まりました。『一回も食べたことないのもまずいよな』と思い、面接の日のランチで食べに行ったんです。すると"てつや"の味に似ていて驚きました。それで面接の時に『てつやさんと何か関係あるんですか?』と質問したんですよ。すると、一国堂の創業者が東京で"北海道らーめん味源"って何店舗か展開しているラーメン屋さんで働いていて、その中の1つの店舗の店長がてつやさんだったそうです。だから一国堂の創業者とてつやさんは師弟関係だったそうなんです。」
- 一国堂では何年ほど修業したんですか?
「面接で採用してもらい、それから6年半ほどお世話になりました。本店に入って1週間くらいですぐに2号店がオープンするってことで、僕もそっちの立ち上げスタッフとして異動になりました。だからその1週間くらいで豚骨の骨の下処理の仕方とか、盛り付けとか学んでいましたね。」
- 独立志望は伝えていたんですか?
「面接の時に『将来自分でやりたい』と伝えていました。最初は2年くらいでスープやタレの作り方とか一通り学んで、それで自分でお店をできるだろうって安易に考えていたんですよ。でも二号店の店長が『作れるだけでやろうとしたら絶対に失敗するよ!店まわし、従業員の使い方、業者さんとのやりとりとか、そういうの全部分かってからやらないと!』って言ってくれました。今になって考えてみると、確かにその言葉は間違ってなかったと思いますね。」
- 一国堂での仕事はどうでしたか?
「半年くらいで一通り全部できるようになって、二号店の店長を任せてもらいました。凄い忙しいお店だったので必死でしたね。あれがいい経験になりました。」
凡の風(2006年5月30日オープン)
- そして独立ですね。
「『もうそろそろかな?』と思い、42歳の時に独立しました。2006年5月でしたね。場所は町の中心部に近い地域で探していたんですよ。やっぱり中心に近い所にあった方がいろんなお客様が来てくれる。それで、たまたま最初にお店を出した物件に出会いました。」
- 屋号の由来は?
「よく言われるのは『富山の"風の盆祭り"と関係あるんですか?』ってこと。全然関係ない(笑)。富山に行ったこともない(笑)。
屋号はある時、ふっと浮かんだんですよ。凡ってのは平凡の凡。自分は飲食の経験も何もなくて、平凡な自分。風はラーメン。平凡な自分が作る風(ラーメン)を感じてもらえたらなって意味。せっかく札幌でお店をやるなら、ちょっとでも話題になるお店になれたらな、ちょっとでも風を吹かせれたらいいなって意味です。」
- オープンして順調でしたか?
「最初の1年くらいはしんどかったですよ。僕は屋号にラーメンとか麺、麺屋とか入れていない。最初の店(後に現店舗へ移転)って電車通りの電停の目の前だったんですけど、ラーメンって幟も立てないので何の店が全く分からない(笑)。理由はなんかベタなラーメン屋って感じにはしたくなかったですよ。だから前の店も今の店もですが、『ラーメン屋っぽくないようにして!』と業者さんにお願いしてお洒落な感じの内装にしてもらったんです。かっこつけたわけでなく、こういうのもいいかなって思ったんです。前を通る人は『凡の風?何の店だろう?』って気にはしてくれるんですが、なかなか入って来ない(笑)。」
- ターニングポイントは?
「オープンして三カ月目くらいに地元の情報番組のラーメン特集で『今年注目の新店4店舗』という企画で紹介してもらったんです。それから凄い行列になってビックリしましたね。
その後に、北海道ウォーカーの年末特集で『新店部門グランプリ』を頂いたんです。それが大きかったですね。じわじわとお客様が増えてきました。」
メニュー(2019年4月19日撮影)
- オープン時に提供したラーメンは?
「所謂、純すみ系のようなラーメンは作り方が分からない。修業先のラーメンがベースにあって、オープン時出したのが、今のメニューの『中華そば以外』のメニューでした。札幌ラーメンの雰囲気を残しながらも新しいネオ札幌スタイル、進化系札幌ラーメンってよく言われました。
てつやさんと修業店の大きな違いは、味噌と醤油は同じ豚骨ベースだったんですけど、一国堂の塩は鶏清湯。だから鶏のスープもとっていたんですよ。てつやさんは豚骨一本なんですけど、修業店は豚骨と鶏ガラの清湯、その2種類をとっていた。だから両方覚えれたので、すごく勉強になりましたね。」
中華そば 純鶏出汁醤油
- 今の看板メニュー「中華そば」をするきっかけは?
「自分でお店をやるようになってから、食べ歩きをかなりするようになったんです。北海道だけでなく、東北とか東京でも食べるようになって、特に東北のラーメンに影響を受けました。福島とか秋田、山形とか、ああいったところの醤油ラーメンがいいなって思いました。
実は中華そばをやる時に他のメニューをやめようと思ったんです。でも既存のメニューを気に入ってくれているお客様もいる。このエリアって古い街なので年齢層高いお客様が多いんです。例えば、息子さんとか娘さんが東京とか住んでいて、お盆に孫をつれて帰ってきた時にウチに来て、昔食べた楽しみにしていたメニューが無かったらがっかりだろうなって。だから大変ですが既存のメニューも残していこうって決めました。」
- 杉村店主が大事にしていることは?
「僕はやっぱり現場主義。ずっと自分が厨房に立ってやっているんです。真面目に真剣にやっていたから13年やってこれたんだなって思っています。お客様を大事にし、真面目に黙々とやる。コツコツと真面目にするのが一番です。」
<店舗情報>
■凡の風
住所:北海道札幌市中央区南8条西15丁目1-1 ブランノワールAMJ815 1F
オープン日:2006年5月30日
(取材・文・写真 KRK 平成31年4月19日)