Vol.90:麺や 一想


 2016年5月、大阪府八尾市に一軒のラーメン屋がオープンした。屋号は"麺や 一想"。店主は元々、ラヲタだった方なので、数年前は大阪の人気店の行列でよく顔を見かけていた方だ。世間では血筋が良いことを"サラブレッド"と呼ぶが、ラーメンで考えたら松田店主は間違いなくサラブレッド。松田店主は大阪のラーメンブーム初期を力強く牽引していた"金久右衛門"と"麺屋 彩々"、両店が最強と言われていた時代に修行をしていた本格派だ。

 自店の2周年を迎えたタイミングで、松田店主に取材する時間を作っていただいた。人気店での地位を捨て、自分の道を歩んできた松田店主の今の気持ちを聞いてみたい。"麺や 一想"松田店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「大阪の八尾、久宝寺です。ここ(店の場所)の近くです。」

 

- ラーメンに嵌まったきっかけは?

「歳の離れた兄貴がいるんですけど、僕が小学校の頃、兄貴が免許を取った時に奈良のサイカラーメンに何度か連れていってくれてたんです。あまり地元にラーメン屋が無かったのもありますが、僕は薩摩っ子とかに行くよりは、サイカラーメンに連れていってもらう方が楽しかったです。それからどんどんラーメンが好きになっていきましたね。

 本格的にラーメンに嵌まったのは、それからだいぶ経ってから、麺や輝さんの本店で食べた時でした。その当時、上新庄とかに行く機会が多くあって、ある日、輝さんで食べたんですよ。それからまた2~3日後に同じ店で食べていて、知らない内に『また行こ、また行こ』ってなっていたんです(笑)。それが始まりでしたね。ちょうどその頃、mixiでいろんなラーメン好きの方達との繋がりができてきて、多くの情報が簡単に得られるようになったので、本格的にいろんな店へ食べに行くようになりました。大阪、奈良が中心でしたね。」



- ラーメン屋をしようと思ったきっかけは?

「本格的に食べるようになって、いろんな店を廻って美味しいラーメンと出会っている内に、『自分でも作ってみたいな~』と思うようになりました。その頃、車屋の営業を7年ほどしていたんですが、『自分は車屋には将来なれないな~』と思っていたので、今後どうしようと考えていました。

 当時、僕の兄貴が金久右衛門の大蔵店主と仲良かったんです。それでちょうど金久右衛門が人気爆発していた頃で本店がかなり忙しくなって、兄貴から『金久右衛門で人を募集してるで!』と聞いたんです。ちょうどラーメンブームが始まる頃だったので、『これはチャンスかな~』と思い、大蔵さんと一度話してみようと金久右衛門 本店に行きました。」

 

- 大蔵店主と話して、どうでしたか?

「もう大蔵さんの魅力に惹きつけられましたね。あの人の雰囲気、全てにです。それで『本店の方で働かないか?』とお話を頂いて、金久右衛門でお世話になることに決めました。その頃は本店の方に松村くん("人類みな麺類"店主 )がいたので、大蔵さんから『本店で働くのはまだ先になるから、ちょっと勉強してきて!』ということで、まずは金久右衛門 四天王寺店の方で働き始めました。」

 

- 初めてラーメン屋で働くことになるんですね。どうでしたか?

「ラーメンのラの字も知らないまま大行列店で働くことになって、もう右も左も分からないまま、愛嬌も振りまけないし、真剣過ぎて顔がこわばってしまってて(笑)。本当に大変でしたね。でもあの時があったから、今があるなって日々忘れることなく思っています。」

 

- 当時、独立志望はあったんですか?

「もう四天王寺店で働いてる時から思っていました。当時、大蔵さんが僕におっしゃっていたのは、『ずっとウチで働くことは無いから。自分でラーメン屋をするなら、最低でも3年で自分で始めないとあかんで!」ということでした。」

 

- 金久右衛門で学んだ最も大事なことは?

「接客ですね。味が美味しいのはもちろんですが、それ以上に仕事への姿勢、気持ちですね。大蔵さんの妹さんからも多くのことを学びました。最初の頃、僕は本当に駄目な感じだったので、いつも怒られていましたからね(笑)。疲れたら顔に出してしまうし、声も出なくなるし。営業終わってから、妹さんにいつも指導をしてもらっていました。金久右衛門では2年間ほどお世話になり、多くのことを学ばせて頂きました。」


大蔵店主(左)、松田店主(中)、齊藤店主(右)


- そして次の修行先ですね。どういう経緯で"麺屋彩々"へ?

「ある日、僕が(針中野にあった頃の)彩々に食べに行ったんです。食べた時に『なんやこれ、メチャメチャ美味しい!』と衝撃を受けて、その時、同じ店で3杯も食べたんですよ。それから何度も通っていて、齊藤店主とも顔見知りになっていきました。

 それからしばらく経ってから、僕が金久右衛門から卒業するってなった時に、大蔵さんが卒業祝いとして金醤油のタレを使ったチゲ鍋をしてくれたんですよ。その時に"彩々"齊藤店主も来てくれていたんです。その場で大蔵さんと齊藤さんが直接話し合ってくれて、僕の希望通り、次に彩々で修行することが決まりました。だから揉め事は一切無かったです。」

 

- 彩々で学んだことは?

「ラーメン自体。やっぱり彩々の味ですね。その当時、彩々のラーメンはどれも死ぬほど美味しかったですから。そして中華鍋を本格的に使えるようになったのも大きかったですね。製麺の方もきっちり学ばせてもらいました。彩々では1年ほどお世話になりました。」


麺や 一想(2016年5月3日オープン)


- いよいよ自分の店へ動き始めるんですね。

「彩々を卒業してから、店舗がなかなか決まらなくて、それでダラダラ過ごす日が続いてしまったんです。その時に、『本当に自分はラーメン屋をやりたいのかな?』って気持ちにちょっとなってしまった時期もありましたね。ラーメンは家で時々作っていました。」

 

- 場所はいろいろ探したんですか? 

「最初は東大阪の近大通り、近鉄八尾駅の辺り、それか地元(今の場所)を探していたんです。でも修行時代に大蔵さんから『松田くん、お店はどこでやるつもりなの?』と聞かれた時に、『やっぱり地元、八尾でやりたいです!』と答えたんです。すると大蔵さんが『じゃあ、八尾には金久右衛門は出さないから!』と言ってくださったんです。その言葉がずっと心の中に残っていて、最後は八尾に拘って店舗を探すようになり、今の場所に決めました。」



- 修行時代から、自分の店で提供するラーメンはいろいろ考えていたんですか?

「そうですね。清湯も白湯も両方。豚はできるだけ使わずに、鶏ガラメインでやろうかなってのは思っていました。彩々で自家製麺も勉強させて頂いたので、いつか自家製麺もやりたいと思っています。」


【KRK動画】屋号の由来、お店の商品紹介


 <店舗情報>

■麺や 一想

住所:大阪府八尾市末広町4-8-21

Twitter:https://twitter.com/shuzo02

 (取材・文・写真 KRK 平成30年6月11日)