Vol.87:Japanese Ramen Noodle Lab Q


 札幌駅から徒歩でアクセス可能な場所に、2014年6月、異色のラーメン店が誕生した。昼はラーメン屋で、夜は焼鳥屋の二毛作営業店(経営は別)だ。(当時の)屋号は"ラーメンQ"。知らないと通り過ぎてしまいそうな外観だが、地下に降りて扉を開けると、目の前に広がる高貴な空間に思わず「お~!」と声を上げてしまう。
 瞬く間に人気店に上り詰めたが、店主の食材への探求心、自家製麺への拘り、まだまだ違う次元に進化しそうな雰囲気を醸し出している。北海道唯一の地鶏"新得地鶏"を使って、北海道産小麦で麺を打ち、北海道産の肉でチャーシューを作る。いつの間にか屋号も変えていて、ますますその動向が目を離せない。関西出身の店主とは以前から親交があったので、今回、大阪での催事のため来阪した店主に取材の時間を少し作っていただいた。"Japanese Ramen Noodle Lab Q"平岡店主に、KRK直撃インタビュー!

- 出身は?

「兵庫県です。」

 

- 昔からラーメンは好きだったんですか?

「地元の姫路に当時、長浜ラーメン屋があったんです。母親が熊本出身、父親が福岡の大学だったので、ウチの家は小さい頃からラーメンといえば豚骨だったんです。」

 

- ラーメンの世界へ入るきっかけは??

「僕はラーメン歴だけは長いんですよ。大阪の大学に入って下宿してた頃、某大手博多ラーメン店でアルバイトとして働き始めたのが最初です。それが20歳の頃で、ちょうど日韓W杯の頃でしたね。そのチェーン店の梅田店のオープニングスタッフとして働き始めました。 」

 

- ラーメンに興味があったから、そのアルバイトを選んだんですか?

「その頃はまだ全然興味無かったですね。漠然とラーメンを食べて人が笑顔になってるのはいいなってのは思っていました。そのチェーン店がかなり大がかりな募集をしていて、60~70人ほどの採用があったと思います。関西での2店舗目でした。」

 

- 初めてラーメン屋で働いて、どうでしたか?

「一からラーメンを作るってこと。そのお店も豚骨を炊いて、洗って、煮卵を入れてとか。お客として食べている時にはなかなか見る機会が無いじゃないですか。なぜ豚骨スープが白くなるのか、なぜ半熟卵が半熟になるのかって。だから楽しかったですね。でも当時はスノーボードをしていて、ラーメン屋になろうという気持ちはまだ全く無かったです。」


スノーボードをしていた頃の平岡店主


- スノーボードはプロとして活動されていたんですか?

「大学を卒業して北海道へ行って、25歳までにスポンサーが付かなかったら辞めようと思ってたんですが、たまたま運よくスポンサーが付きました。その頃は冬季は北海道でスノーボードをして、夏季は大阪でそのチェーン店で働くという感じでしたね。

 それで21歳から3年ほど経った頃、自分にとってスノーボードと同じくらい夏場のラーメン屋の仕事が重要だなって思ったんです。ラーメン屋で働いてる中で先輩との関わりだったり、お店の立ち上げとかさせてもらったりしてる中で、ラーメンって凄い食べ物なんだなって気づいてきました。新しい土地にお店を出しても、1日1,000人とか来るんですよ。1.000人なんて僕は野外イベントに行った時以外に経験したことが無かったですから。僕は社員じゃなくてアルバイトだったんですけど、何ラーメンであろうが、美味しいものを食べると人が笑顔になるんだなって思いました。」

 

- そのお店では何年くらい?

「全部で13年間お世話になりました。」

 

- 独立しようと思ったきっかけは?

「27歳の時にスノーボードで大きな怪我をして、2ヶ月くらい入院することがあったんです。その時にフッと、以前に働いてた店の店長に『30歳までにしっかり道を定めろよ』と言われていたのを思い出したんです。『30歳まであと2年だな~』と思い、その時点までの自分の人生を振り返ると、自分の生活の基盤がラーメンだったと改めて気づいたんです。それで今まで真剣にやってきたけど、見方を変えてみる頃だな、ここ(某チェーン店)を出てみる必要があるんじゃないかなと思ったんです。」

 

- ターニングポイントですね。

「自分がラーメンをやっていくと考えた時、自分の店をやりたいなって思ったんです。自分が頑張れば結果が出てくる。やった分だけ後から返って来る。それであと5年だけスノーボードとラーメン、両方を全力でして、5年で今の生活スタンスを変えて引退する。そして33歳になったら自分のラーメン屋をすると決めたんです。」


ラーメンQ(2014年6月12日オープン)


- お店の場所は悩んだんですか?

「最初は東京に住んでたので東京で探していたんですけど、資金面で難しかったですね。大阪とかも考えたけど土地勘が無かったんです。地元(兵庫)でならできるけど、どうせ勝負するなら大きな都市でしたいと思っていました。それで当時は毎年、冬はスノーボードで北海道にいたので、札幌に土地勘が凄くあったんです。そのタイミングで舞い降りたかのように、今のお店の話が来たんですよ。昼がラーメン屋で、夜が焼き鳥屋って話です。」

 

- 昼はラーメン屋、夜は焼き鳥屋の二毛作営業でスタートですね。

「経営が別とはいえ同じ場所での営業ですから、焼き鳥屋の片手間で"昼だけラーメン出してる店"と言われるのは分かっていたし、札幌ラーメンを出さないから最初は苦戦するだろうなと思っていました。でも勉強して、来店するお客様に美味しいと言ってもらっていれば、後から知名度も付いてくるだろうなと思っていました。」



- 清湯でやろうと決めた理由は?

「東京に住んでいた時に、衝撃を受けたラーメン屋さんがいっぱいありました。僕が凄く尊敬していた先輩にもよく教えてもらっていて、先輩方が作るラーメンを食べて感動したんです。自分が働いてた店のラーメンで感動しなかったってわけでなくて、ラーメンの作り方の尺度が違う。そう考えた時に、パッと見たらそういうラーメン屋がたくさんありました。それでもっと勉強しないとなって思い、関東のラーメン店をいっぱい食べ歩いて、その結果、鶏出汁の清湯でしたいと思ったんです。

 当時の札幌は、"清湯"って名前を使ってるお店が無かったですし、鶏をメインにしてる店もほぼ無かったですね。2014年にオープンして、2015年1月から全部地鶏に変えたんですが、地鶏だけでスープをとるって概念も北海道では初めてだったかと思います。」

 

- 最も影響を受けた方は?

「影響を受けたのは飯田さん(飯田商店 店主)、そして山上さん(トイ・ボックス店主)ですね。飯田さんは数年前に百貨店の催事で札幌に来られていたんです。その時に飯田さんのラーメンを食べて衝撃を受けて、自分が毎日一生懸命仕込んで出していたものが『まだまだ美味しくできるのに、頑張っていないんじゃないのか?』と言われてるような気持ちになったんです。それでもう我慢できなくて、すぐに飯田さんに連絡させてもらって催事中に押しかけましたね。全然知り合いでも無かった頃だったので『駄目だったら駄目でもいい』って気持ちで行ったんですが、飯田さんに快く受け入れてもらい、それから催事中の4日間、多くの事を勉強させて頂きました。その時の経験が、製麺、小麦と私の指針となっています。

 山上さんは東京での修行時代に間借り営業をされていました。お互い勉強しに行った"あるお店"で初めてお会いしました。お店を始めてからも色々な方を紹介して下さったり、勉強する機会を下さいます。怖い顔をしていますが(笑)、本当に面倒見のいい凄い方です。飯田さん、山上さん、このお二方には本当にお世話になっています。お兄ちゃんみたいな存在です。」


- 最初の屋号"ラーメンQ"の由来は?

「QualityとQuest、 質と追及から”ラーメンQ”と決めました。」

 

- その後、屋号変更した理由は?

「2017年1月、自家製麺に変えるタイミングで変えました。きっかけはニューヨークでラーメン店のプロデュースをさせてもらった時ですね。その時に外国のお客さんが僕の醤油ラーメンを食べて、『食べたことない味だ。Japanese Noodleだ!』って言ったんですよ。その時にピンっと来たんです。Qは質の追求ってことで、"Japanese Ramen Noodle Laboratory Q"。

 客観的に外から日本を見た時に、日本人が日本の食材で日本のラーメンを作ることを『なんてかっこいいんだ!』って誇らしく思いました。海外では良い悪いじゃなくて、日本の正しいラーメンじゃないラーメンを出している店も多くあります。僕にプロデュースを依頼した方は韓国人だったんですけど、その方は僕に『日本のちゃんとした正しいラーメンが食べたくて、君を呼んだんだ』って言ってくれたんです。だから僕はアメリカで地鶏を探してニュージャージーで見つけて、15軒くらい廻って醤油を探して、旨味の成分をアメリカ人と一緒に勉強してって真剣に取り組みました。1ヶ月半ほどずっと試作していました。メッチャ楽しかったですね。やっぱり日本を出ないと気付かない事でしたね。」

 

- 自家製麺するきっかけは

「現在、兵庫県や埼玉県の醤油を使っていて、醤油蔵にも行くんですよ。ある時、蔵主さんから『醤油もラーメンも一緒だよ。ものづくりは一から十まで作れるかだよ。自分が分かってるかだよ。』と教えて頂いたんです。ラーメンに対する製麺屋さんのように、醤油も麹屋さんがあるんです。その蔵主さんは『俺は麹も作ってるからね。君はまだまだやることがいっぱいあるね』とおっしゃったんです。その時に、やっぱり麺をやらないといけないな~、製麺をやるのが凄いとかじゃなくて、やらないと分からないことがあるはずと思いました。」

- 平岡さんの今後についてお願いします。

「昔のラーメン屋のイメージって汚い、怖いとか。でもそういうイメージも変わってきていると思います。僕はラーメン屋を天職、メチャクチャかっこいいと思っています。だから"ラーメン屋なのに"とか、"ラーメン屋のくせに"ってイメージがいつか無くなったら面白いなと思っています。

 最初に働いたチェーン店の会長さんに『35歳までに天職を見つけろ』と言われたことがあります。20代の頃はその言葉がずっと頭にあって、30歳を超えて振り返った時、ラーメンが自分をずっと支えてくれていたことに気づきました。尊敬できる先輩の方達に出会って、先輩達がやってきたことを見て、自分もそうなりたいなと思いました。だから今は後輩たちに『ラーメンっていいですね!』と言ってもらえるように自分もなりたいと頑張っています。

 まだまだ欲しい調理器具とか、やりたいことがいっぱいあります。素材に関しても、まだまだ無限にやるべきことがあります。一杯のラーメンの中に起承転結を感じてもらう事。Qで出しているラーメンでお客様がみんな笑顔になってくれること。お客様に『このお店、かっこいいな~。あ~、いつも頑張っているな~。いいラーメンを出しているな~』と思ってもらえる、そういうお店を作るのが最終目標です。

 今までラーメン業界の先輩方が作ってくださったいい業界を更に良くして、次のラーメンを志す方に知ってもらい、ラーメン業界が盛り上がり続ける事も目標です。」



 <店舗情報>

Japanese Ramen Noodle Lab Q

住所:北海道札幌市中央区北1条西2-1-3 りんどうビル B1F

Twitter:https://twitter.com/Qpiroshiki

Facebook:https://www.facebook.com/ramenQ2014/

Instagram:https://www.instagram.com/qmen_sapporo/

 (取材・文・写真 KRK 平成30年5月6日)