Vol.84:つけ麺 繁田


 JR六甲道駅周辺は多くのラーメン店が競い合っていて、関西有数のラーメン激戦区となりつつある。そしてこの激戦区で一際目立っている行列店が"つけ麺 繁田"だ。

 以前は三木市で別の屋号で営業していたそうだが、2015年12月14日に此の地へ移転してからメキメキと頭角を現してきたという印象だ。移転の理由、"つけ麺"を強調した屋号の由来、人気店になってからの気持ちの変化、いろいろ聞かせてもらおうと思う。"つけ麺 繁田"繁田店主へKRK直撃インタビュー。


- 出身は?

「兵庫県の三木市です。」

 

- この世界に入ったきっかけは?

「高校卒業後、進路も決まらないままフラフラしていた頃、地元の居酒屋でカリスマ店長さんって感じで有名な方がいたんです。僕は面識が無かったんですが、その店長さんが僕が当時バイトしていた酒屋に酒を買いに来た時に、『あっ!この人があの有名な人だったんか?』と知ったんです。その後、その人の居酒屋へ行った時、やっぱりかっこええな~って思いましたね。

 そして、それから1年ほど経った頃、その人に『ウチで働かへん?』と誘われて、その店でお世話になることになりました。それが僕が飲食に入ったきっかけですね。」

 

- その居酒屋で働き始めて?

「ある時、その居酒屋で昼だけラーメンをするってなったんです。店長から『昼だけラーメンするから、お前も昼に出てくれへん?』って。昼はラーメン、夜は居酒屋の二毛作営業ですね。」

 

- どんなラーメンを提供していたんですか?

「店長が徳島ラーメンが好きだったんです。『別名すき焼きラーメンって言うねんで』と教えてくれて、『お前も食べに行くぞ!』って徳島まで食べに連れていってくれたりしました。その人がラーメンへの入り口を作ってくれたことになりますね。」

 

- 当時、ラーメン食べるのは好きだったんですか?

「食べるのは好きでしたけど、地元でしか食べていなかったんです。だから当時は僕らの地元の"播州ラーメン"って甘い系のラーメンしか知らなかったですね。播州ラーメンしか食べてなかったので、甘めの徳島ラーメンも美味しいなって思いました。それがきっかけになって自分でラーメン情報が載ってる雑誌買って、まず兵庫県の播磨の方のラーメン店を廻って、それから加古川とかにも行くようになったりしました。いつの間にかラーメンばかり食べるようになっていましたね(笑)。

 それで居酒屋のランチのラーメンの仕込みで鶏ガラとか扱って、楽しいな~って思っていました。でも結局、お客さんがあまり来なくて『ラーメンやめようか』ってことで半年くらいでやめることになったんです。ラーメンに興味持ち始めてたので、『あ~、そうか~。』ってとても残念でしたね。」


- その後、どういう流れで自分の店をすることに?

「23歳頃~20代後半まではその居酒屋を辞めたり戻ったりとフラフラしていました。昼のラーメンを止めてからだいぶ年月が経ってからですね。弟が高校卒業して、中華料理屋に就職して東京へ行ったんです。

 それである日、弟から連絡があって『今、つけ麺食べるのに嵌ってる』と聞いたんです。弟の職場が江戸川区で小岩が近かったんです。その時、弟が『今日、一燈に行ってきた』とか言うんです。僕は当時何も知らなかったので、『一燈って何や?』って全然ついていけなくて(笑)。」

 

- まだ詳しくは無かった頃ですから、仕方ないですね(笑) 

「しばらくして、弟の所へ遊びに行く機会があったんです。それでランチで初めて本格的なつけ麺を食べて、『あ~美味しいな!!』って。そして次に松戸の某有名店に連れて行ってもらったんです。凄い並んでいてもうカルチャーショックでした。メッチャ暑い夏の日に3時間くらい並びましたからね。行列とか並んだことがなかったので『なんやねん、この行列は!』って。でもその時に食べたつけ麺が衝撃的に美味くて、もう笑ってしまいました。その日の帰り道にずっと『美味しかったな。美味しかったな』とずっと言ってましたから(笑)。」

 

- 忘れられない一杯と出会ってしまったんですね。

「その気持ちを抱えながら地元に帰ってきて、しばらく考えた後、『よしやろう!』と思いました。そのつけ麺のことが忘れられず、弟に相談したんです。『つけ麺やりたいんやけど、一緒にやらへん?』って言ったら、弟が『あ~いいで。俺も中華料理屋をやめたかってん。2人でやろう!』と言ってくれたんです。」


- どこかの店で修行とかしたんですか?

「完全に自己流でしたね。とりあえず本とか読んだりして、兵庫県のつけ麺を出してる店は片っ端から廻っていましたね。京都のたけ井さんや大阪の群青さんにも何度か行かせてもらいました。」 

 

- 自己流で何もかもは大変だったでしょうね。

「夜はバイトして、朝から自作を続けてって、2人でずっとしていましたね。友人に豚骨とか送ってもらって、知り合いに家で寸胴を置ける特注のコンロを作ってもらって、家の玄関の前、屋根がある場所に寸胴2つ並べて自作していました。スープ炊きながらカエシも作ったりとか。母親にもあーせーこーせとか言われながら(笑)。

 麺も全然分からなくて製麺機を買うお金も無かったので、雑誌の裏に載ってた製麺屋さんに片っ端から電話して『サンプルください』と頼んでいました。その中で埼玉県の"丸富製麺"(公式HP)の社長さんが一番長電話やったんですよ。普通、麺がどうのこうのって感じなんですが、その人は『あなたの夢は何ですか?』って。一番世間話して、一番僕らのことを聞いてくれたので、そこにしようって決めました。松戸の某店みたいな麺が欲しいって言ったら、実際に食べに行ってくれたりもしてくれましたから。」


つけそばと深夜食堂 房'S(2014年10月2日オープン)


- 屋号の由来は?

「以前に僕は焼き鳥屋をやりたかったんです。その頃に『焼き鳥屋 房ってかっこいいな~』と思っていて、その時から温めていた名前なんです。それから『繁田のSを付けて、房'sでいいか』ってことで決めました。本当は"つけ麺 繁田"でいきたかったんですが、最初はそれで決めました。」

 

- オープンしてから地元での評判はどうでしたか?

「地元ではつけ麺なんて誰も食べた事ないので、『ラーメンくれ!』と言うお客様が多かったです。ラーメンやれってあまりにも言われるので、ウチの太麺でラーメンをちょっと出したりもしていましたが、播州ラーメンの印象が強いエリアなので『細麺がいい』とかいろいろ言われましたね。一度心が折れてしまって播州系の限定を出したりもしたんですが、あんまり売れなかったですね。当時は全然お客さんが来なくて悶々としていました。」

 

- 知名度UPすることになったきっかけは?

「ある時、"らぁ祭"ってイベントの理事長さんが食べに来てくれたんです。名刺をもらってイベントにお誘いして頂きました。ただ、その時に他の参加店も教えてもらったんですけど、当時の僕にとっては全然知らない店ばかりで、自分の世界の狭さをその時に知りましたね(笑)。ウチはつけ麺に特化していて、つけ麺の店しか知らなかったですから。でも『ボランティアとかいいな』と思って、活動内容もよく分からないまま参加することに決めました。」

 

- イベントに初めて参加して?

「らぁ祭に出てから新規のお客様が来てくれるようになりましたね。県外からのお客様がスタンプラリーで来てくれて、それで『ラーメンって凄いな』と思いました。それで自分でもらぁ祭を廻って他の参加店さんでラーメンを食べて、自分もまだまだ勉強しなあかんなって思いましたね。」


- それから移転したと思うんですが、理由は?

「知名度も上がってきて頑張っていたんですが、ある事故をきっかけに建物の安全面で問題が発覚して、その場所で営業を続けるのが困難になりました。僕はせっかく"らぁ祭"で新規のお客様が来てくれるようになったので、すぐに復活したいなって思いました。それで飲食の先輩に相談したら、『もうこれは神戸に行けってことじゃないか?』と言われました。」

 

- 移転先には悩みましたか?

「忘れられる前にすぐに復活したかったので、すぐに移転先を探していましたね。範囲をかなり広く、JR神戸~尼崎くらいまでを探し回っていました。でも3ヶ月間くらい見つからなかったですね。その間は僕らは別々の仕事をしていました。弟は工場で働いて、僕は夜にハンバーガー屋やBAR、居酒屋とかで働いて、昼は毎日物件探しをしていました。西宮、尼崎、苦楽園や宝塚とかも行きましたね。

 もう今年中は無理かなってあきらめかけてた頃に、不動産屋の担当の人が『まだ情報が出てないんですけど、ここがたぶん空きますよ』ってこの場所の情報を教えてくれたんです。それでこの場所を見に来て、いいな~って思ったので、当時まだここで店をしていた家主さんに『どうしてもここでやりたい』と直接交渉したんです。翌日もまた来て『お願いします!』って。それで気持ちを分かってもらえたのか『いいよ!』とおっしゃって頂いて、正式に決まりました。」


つけ麺 繁田(2015年12月14日オープン)


- 屋号を変更したのは?

「房'sも良かったんですけど、今回は"繁田"でって思いました。最初は麺処 繁田、中華そば 繁田、つけ麺 繁田、どれでいこうか迷ってたんです。でもやっぱりウチはつけ麺。兵庫県につけ麺の店があまり無いので、僕らが『つけ麺が美味しい』って入口になれたらと思って、"つけ麺 繁田"に決めました。」

 

- 移転と同時に、自家製麺も始めたんですね。

「はい。移転してすぐに自家製麺でやろうって決めました。自家製麺でないと自分のやりたいようにやれないなって思い、奮発して製麺機を買いました。製粉会社さんに見学に行って、業界のレシピみたいなのをもらっていろいろ教えてもらったりしました。製麺機のメーカーさんも技術指導で来てくれたりしましたね。それから自分で探り探りで試行錯誤を繰り返していました。分からないことがあった時はいつも宮本さん(中華そば麦右衛門 店主)に相談させて頂きました。」

- "中華そば 麦右衛門"の宮本店主に??

「らぁ祭を通して知り合ったんですが、本当にお世話になっている方です。つけ麺 繁田をする時に相談しに行ったのも宮本さん。こういうチャーシュー作りたいとか、麺をこうしたいとか。それで宮本さんがこうしたらいいんじゃないってアドバイスをくれていました。それから限定する度に宮本さんとこにスープを持っていき、奥さんと一緒に食べてもらっていろいろ意見を頂いています。

 それで繁田のオープン当初なんですが、僕が麦右衛門さんを好き過ぎてコラボじゃないけど『リスペクトって感じのラーメンしていいですか?』って宮本さんに許可をもらって、"繁右衛門"って限定をしたんですよ。その時は毎週試作のスープを炊いて、宮本さんの店へ持っていっていろいろ意見を頂いていました。何度かしてる内に『これだったら出していいよ』とOKを頂いて、それから繁田で"繁右衛門"を1ヶ月間くらい限定として出しました。」


焼豚つけ麺


- 六甲道へ移転してきて、お客様の反応はどうでしたか?

「最初から多くのお客様に来ていただきましたね。三木では行列なんて無かったんですが、こちらでのオープン日では早い時間から並びが始まっていて、何かの間違いかな?って思ったくらいですから(笑)。最初に並んで頂いたお客様さんが三木市の店にもずっと来てくれていた方で、それで感動してしまいましたね。こういう応援してくれてる人達のためにも頑張らないとあかんなって。」

 

- つけ麺 繁田のつけ麺について

「三木市でやってた頃より、もうちょっと万人受けするように濃度を抑えていましたが、今、また濃度をだいぶ上げていってます。材料も変えていって、魚粉の量も変えていっています。」

 

- 麺にはやっぱり一番拘っていますか?

「つけ麺というと、やっぱり"麺がごはん"で"スープがおかず"という考え。ごはんが美味しくないと、おかずも進まない。やっぱり麺に特化したいなと考えました。今でも麺は本当に悩んでいますね。とことん追求できるのは麺かなーと思っています。だからお客様に『麺が美味しいなー』と言ってもらえたら最高ですね。」

 

- 個性的な限定もいろいろ提供されていますね。

「僕らもいろんな限定をすることによって、知識の幅、料理の幅を広げていきたいなって考えてやっています。限定ではラーメンというジャンルに拘らず、いろんなことができたらいいなと思っています。」


- 今後したいことは?

「僕がつけ麺専門、弟がラーメン専門、そしてウチの一番弟子がまぜそば専門って形で店舗展開していけたらいいなと妄想をしています(笑)。」

 

- 最後に一言お願いします。

「つけ麺はもちろんスープも大事ですが、僕は麺に拘っています。つけ麺の食べ方とか良さを兵庫県に浸透させたいなって。つけ麺繁田ではこう食べてたから、つけ麺はこう食べるんやでってなるほど定番になりたいですね。いつか兵庫県で"つけ麺なら繁田"と言われるようになりたいです。

 メニューを増やすより、僕は磨くことに重きを置いています。今日より明日、明日よりその先、ちょっとずつでも美味しくできるように頑張っています。材料にも拘って、ほぼ国産のものを使ってて無化調、無添加とかで安心して誰でも食べれるようにして、幅広く受け入れてもらいたいなって思っています。」



<店舗情報>

■つけ麺 繁田

住所:兵庫県神戸市灘区桜口町5-1-1 ウェルブ六甲道5番街1番館 103

twitter:https://twitter.com/tukemen_shigeta

Facebook:https://www.facebook.com/shinyashokudoubouzu/

Instagram:https://www.instagram.com/tukemen_shigeta/

2015年12月14日オープン。

 

(取材・文・写真 KRK 平成30年4月)