"淡路駅"前の商店街を少し歩き、路地を右に入ると行列が見えてくる。このエリアはラーメン店が狭い範囲に密集している激戦区だが、その中でも飛び抜けてラーメンファンに支持されている店がある。縁乃助商店だ。このKRKでも以前に中川店主(インタビュー)に取材をしているが、今回スポットを当てるのはこの人気店を任されて、グイグイと大阪屈指の人気店へ成長させていってる北林店長だ。
他ブランドの取材(インタビュー)で以前に少し取材させていただいたが、もっと深くどんな方なのか知りたいと思っていた。グループとしての新しい展開もあり多忙な中、時間を作っていただいた。"縁乃助商店"北林店長にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「ここが地元です。実家はここから約5分くらいの所です。」
- ラーメン始めたきっかけは?
「19歳の時、学生の頃にバイトをしてみようと思った時、ちょうど"麺や輝"系列のうどん屋がオープンするってことでバイト募集していたんです。それでオープニングスタッフとして採用してもらいました。その後、麺や輝さんの本店へ誘ってもらい、本店の方でお世話になることになりました。それがラーメン業界での最初でしたね。」
- ラーメンにどんどんハマっていくことに??
「その時は大学でサッカーをしていて、夜だけバイトとして働いていたんですが、当時の本店の店長さんが僕を推してくれる人で『もっとラーメンを勉強した方がいい』って言ってくれたんです。それで輝さんで働きながら、(西中島)南方にあった"ラーメン学(現・華Sansyou学)"でもお世話になることになりました。そこで初めて麺場をさせてもらったんです。それがきっかけで、『もっとラーメン作りたいな。もっとラーメンを深く知りたいな!』って思うようになりました。」
- もっと知りたくなって??
「輝さんやラーメン学さんで働きながら、みつ星製麺所 西中島店さんのオープニングスタッフしたり、時屋さんでもお世話になりました。それで『豚骨、塩ラーメン、つけ麺を経験したので、どうせだったら醤油も勉強したい!』って思い、金久右衛門 守口店さんで1年半ほどお世話になりました。1つ1つではなくて、全部の店で働いてた時期が少しずつ重なっているんですよ(笑)。基本は輝さんとラーメン学さんの両店で働きながら、更に1店ずつ増やしていくって感じでしたね。」
- 将来、自分の店をって気持ちはあったんですか?
「それで大学2回の時に『一回、自分で作ってみよう!』って思ったんです。それで外注で自分で豚骨をとって、作ってみました。(当時バイトしていた)ラーメン学さんが日曜定休だったので店の厨房を1日使わせてくれるって言ってくれたんです。それからですね。自分でどんどんやりたいって気持ちになりました。カエシ作ったり、いろいろしていましたね。完全に"商品クオリティ"としてお客さんに出せるなって思ったのが、4回目の試作くらいの時。大学3回の2月頃でしたね。豚骨と鶏白湯、2発炊きをやって、それが完成した時に『あ~、ラーメン屋したいな~』って思いました。」
縁乃助商店(2013年10月16日オープン)
- 縁乃助商店との出会い?
「縁乃助商店がオープンして翌月くらいですね。11月くらいに初めて食べに来ました。15時前くらいに来たんですが、その時に中川社長と少し話す機会がありました。僕が『輝でバイトしてたことあるんです。』って言うと、社長が『バイト募集してるけど、やらへんか?』って言ってくださって、それから半年後には、『ここでやろう!』って思いました。」
- 今まで働いてたラーメン屋さんと違った?
「ちょっと違ったんですよ。ラーメンを売ってるってだけでなく、人を売ってるって面も感じました。今までに感じなかった自分の感覚ってのがあって。ラーメンの技術を盗むより難しいもの。盗み難いものがココにあるように感じたんです。社長がラーメンの味だけでなく、人柄でもお客様を呼んでるようなところに惹かれたんです。『自分には無いところやな。自分が勉強できてないところだな』って思いましたね。」
- 決断は早かったんですか?
「当時、大学で教員を目指していたんです。親には『教員免許をとってくれるなら、卒業した後はあんたの好きなことをしていいよ』って言ってもらいました。それで体育の免許もとりまして、教員採用試験を受ける手前くらいでしたね。(中川)社長に『卒業したら宜しくお願いします!』って伝えました。それから他の(ラーメン屋の)バイトを全部辞めて、縁乃助商店に絞りました。」
- その時、(中川)社長はどんな反応でしたか?
「『大丈夫、大丈夫。お前を幸せにしたる。大学まで卒業したのにウチに来てくれるんだから、お前のオカンに挨拶しなあかんな』みたいなことを言って下さいましたね。」
味玉チャーシュー ポタチキそば
- 教員への未練とかあるんですか?
「元々、教員になりたいと思ったのは、自己表現をしたかったんです。それまでサッカーを16年ほどしていて、当時は自分が自己表現できる場がサッカーだけだったんです。だから教員目指そうって思ったんです。それで実際、僕が『縁乃助商店に入ろう!』って思った一番の要因はそこなんですよ。僕が自己表現できるのはここかな~って思ったんです。いろんな限定をやらせてもらってるし、自分はこういうのをしたいんですよってお客様に体現できるのがやりがいなんです。」
- 縁乃助商店に入って、自分の色を出せるようになったのは?
「4月に入社して最初の3ヶ月くらいはずっと社長が横にいたんですけど、7月から店長をさせてもらいました。そして3ヶ月後には2周年の限定を任せてもらい、それからは完全に任せてもらうようになりましたね。ある日、あるお客様から『前(中川社長が作ってた時)の方が美味かった』って聞いたんです。それが凄いショックだったんですよ。それがきっかけで『自分の色をもっと出していこう』って思うようになりました。」
- 具体的には?
「どうせだったら社長の作ってる味じゃなく、僕のラーメンを食べてもらう方がいい。はな(最初)から違うものですよっていう風にこっちからした方がお客様についてきてもらえるかなって思いました。『僕の色を出していこう』と思い、ちょっとずつ変えていって、今ではもうほぼ全て変えさせてもらいました。濃度も上げさせてもらって、カエシとかほぼ全てですね。社長の色が残ってるのは、唐揚げのタレくらいです。他は全部、僕が付け足しています。自由にさせてもらって有難いです。」
- 麺もいろいろ変えていってるんですか?
「粉から加水までどんどん変えていっています。僕の基本的な考えで"商いは飽きない"ってのがあり、麺もスープも僕が飽きないようにちょっとずつ変えていってます。微量なんですけど、常に変化を意識しています。」
- スープはもう"大阪一濃厚"って感じになっていますね。
「もちろん、それを目指しています。ドロドロ系ですね。でもドロドロ系のイメージである"くどい"とか"胸やけする"とかは基本的に除きたいです。ドロドロ系だけど、矛盾しますが"あっさり"というか"食べやすいラーメン"を目指しています。」
- 現在、新しく取り組んでることはありますか?
「やったこと無いことが好きなんです。今は鶏専門なので、僕は豚骨を知らない。知らないままだと(自分の)幅が広がらないので、知らないことから手を付けていきたいって思っています。(縁乃助商店に入って)1~2年目とかは狭く深く、広く浅くとか自分の幅をどんどん広げていましたが、今は時間をかけて掘り下げていくって作業をしていっています。」
【KRK動画】店長として拘っていること
中川社長よりへメッセージ
<店舗情報>
■縁乃助商店
住所:大阪府大阪市東淀川区淡路4-9-5
2013年10月16日オープン。
(取材・文・写真 KRK 平成30年3月)