Vol.67:麺屋そにどり


 近年、関西や東海の名店の流れを汲むラーメン店のオープンラッシュによって、東海屈指のラーメン激戦区となりつつある三重県四日市市。そこに2017年11月20日、新たな新店がオープンした。店主は”せたが屋”(東京)、そして”麺屋えぐち”(大阪)で修行をした方。両店で合わせて10年間ほどいたそうだ。2年ほどの修行で独立する人が多い中、これだけ長く、しかも2つの店でしっかり修行をしてきたのだから、ラーメンへの気持ちがアツい方なんだろうと勝手に想像してしまう。

 店主とは会ったことさえないので、インタビューの日が初顔合わせになる。四日市を選んだ理由、2つの店で修行をした理由、いろいろ聞いてみたいことがあるので楽しみだ。"麺屋そにどり"北原店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「三重県名張市です。」

 

- ラーメン屋に興味を持ったきっかけは?

「小さい頃にテレビチャンピオンを観てました。ラーメン選手権ですかね?その番組で一風堂の河原さんの3連覇とか観て、『あ~、ラーメン屋ってかっこいいな~!』と思っていたんです。でもすぐにラーメン屋さんをできるわけでなく、普通に高校に行って、大学ですね。そして就職活動を始める時に、自分の興味があることを仕事にしたいって思いますよね。僕の興味あったのはラーメン屋、おもちゃ関係、眼鏡の3つだったので、そういう会社を受けていました。それで企業だったので一風堂も受けたんですが、最終面接で落ちてしまったんです。他の会社を落ちた時はそんなに悔しい気持ちにならなかったんですが、一風堂を落ちた時は悔しくて『あ~、ラーメンやりたいのにな!』と思いました。」

 

- 一旦、あきらめたんですか?

「親が九州出身なので親戚が福岡にいるんです。それで親戚の知り合いのラーメン屋を紹介してもらって、大学4年の夏休みに1ヶ月間だけ働かせてもらうことにしました。ラーメンがやってみたかったんです。」

 

- 飲食で働くのは初めてだったんですよね?

「もうボロボロでしたね。そこの大将が職人肌の人で、一回聞いてもう一回分からなくて質問したら、『お前、さっきも言ったよな。何しにココに来てるんだ?』って。こんなにも厳しいのかと驚きましたね。親戚の紹介なので、けっこう軽い気持ちで行ってたんですよ。『ラーメン屋で働くのはどんなのかな?優しく教えてくれるのかな?』って。でも本当にガチで厳しくて。それをずっと怒られながら1ヶ月間やって、もう自分の中では『俺はセンス無いのかな?もうラーメンはやめとこうか』と落ち込んでいました。でも最後に大将が『お前は一生懸命やってる。センスは無いし、どんくさかったけど、いつも一生懸命だった。その姿勢を3年間頑張ってやれば、店長とか店を持てるほどになれる。もしこの仕事をやりたかったら、その姿勢を忘れるな!』と言ってくれました。

 本当に心が折れかかってたので、大将のその言葉が無かったら、僕はラーメン屋をしてなかったと思います。それでその言葉がずっと引っかかっていて、1つ受かってた企業の内定式に行った時に『何か違うな。やっぱりラーメンがしたいな~』と改めて思いました。それで東京へ行くことを決断しました。」



- なぜ東京に?

「なんかね、東京に一番美味しいラーメン屋さんがあるイメージだったからです。当時、ラーメン関連の情報が載ってる"とらさん"というのがあって、そこの求人欄を見ていたら長野県の某店が東京進出で募集をしていたんです。ちょうどいいタイミングだったので、その店でお世話になることにしました。でもその店がある事情で1ヶ月くらいで撤退することになってしまったんです。その時は本当に困りましたね。」

 

- 次に働く店を探さないといけなかったんですね。

「その時点で東京のラーメン店をいろいろ食べ歩いていたんです。食べていた多くの店の中で一番美味しいなと思ったのが、せたが屋‘でした。会社も大きいし、海外進出もするところで凄く勢いがありました。『これほど有名になるには何か理由があるはずだ』と思い、せたが屋で働かせてもらうことにしました。」

 

- せたが屋での仕事はどうでしたか?

「入った頃にすぐに催事を手伝わせてもらったり、やりたい人はどんどんやっていけって感じだったので働きがいがありました。ラーメン作りもしっかり教えてもらって、『どんどんやりな。何でもまかせる』という感じで凄くオープンな環境でした。だから人も育つし、人も増えるという感じでしたね。」

 

- せたが屋を離れるきっかけは?

「8年間ほどお世話になった頃に、『他の店も見てみたいな』と思いました。せたが屋があまりにも居心地が良過ぎたのもあるんですが、甘えてしまう自分がいたんです。それなりに役職を頂きましたし、安定もしていましたが『これではいかんな』って。いつか自分の店をするという気持ちは常に持っていたので、せたが屋ではできていても本当の僕の実力はどうなんだろうと考えていました。他の店で働いてみて、ちゃんと認められたら独立しようと思いました。」


- 次の修行先として大阪の店を選んだのは?

「三重県の実家へ帰ったりすると大阪にも寄ったりしてたんですよ。それで大阪のラーメン屋さんもいろいろ食べてたんです。その中でも‘’えぐち‘’だけ何回も行っていたんです。『あ~美味い』って。いつも店が綺麗だったし、接客も丁寧で店主さんも寡黙でやってて。いつ行っても『いいな~』と思ってたので、次の修行先としてお世話になることに決めました。」

 

- 麺屋えぐちでは?

「当時、せたが屋はまだ自家製麺で無かったので、麺の勉強をしたいと思っていました。えぐちさんと話した時に『2店舗目を考えてて、そこを自家製麺でやりたい』って。それで『僕も麺を勉強したいんです!』となって、『じゃあ、その時に呼ぶわ』と言って頂きました。しばらく待ってから呼んで頂いて、それから本店で1年間、2号店で1年間ほどお世話になりました。2号店の立ち上げ、途中から試行錯誤するところも見れて本当に多くのことを学ばせてもらいました。」

 

- その頃には独立への自信が?

「自信つくかなって思っていたけど、結局、あまり自信がつかなくて、性格の問題なのかなと思いましたね。経験を積み重ねて自信が増えても、同時に不安も増えると分かりました。だから、やるしかないって思いました。」


麺屋そにどり(2017年11月20日オープン)


- 独立するきっかけは?

「麺屋えぐちに入る時に、『2年後に独立したい』と伝えていました。それに合わせて、準備もいろいろしていました。」

 

- 場所は悩みましたか?

「地元でやりたいなってのは常にありましたし、大阪でって気持ちもありました。僕が全く新しいラーメンを出すならいいけど、僕がやりたいと思っていたラーメンは、系統でいえば大阪には幾つかの店が既にやっている。それなら無い所に持っていこうかなと考えました。それで三重県です。地元の名張市だとまた甘えてしまうと思ったので、縁もゆかりも無い四日市市を選びました。ゼロからどこまで積み上げていけるかなって。」

 

- 四日市のラーメン事情も調べたんですか?

「場所をいろいろ探している頃に、鉢ノ葦葉さんで食べさせてもらいました。『メッチャ美味いな!』と思ったし、お客さんが凄い並んでいました。他にも美味しいらーめん屋がたくさんあり、並んでいるのをみて四日市でやってみたいと思いました。」

- 屋号の由来は?

「僕が個人的に鳥と魚が好きだったので、"トビウオ"か"カワセミ"で考えていました。飛魚だとアゴ出汁を使わなあかんしな~と思ったりしてましたね(笑)。不如帰(東京)、すずめ(広島)など小鳥系の屋号って多かったので鳥系にしようと決めて、それで"カワセミ"がいいなって思いました。でもカワセミで調べてみたら、奈良県の有名なお蕎麦屋さんが出てきたので『あかん、屋号が被ってしまう』って。更に調べてみたら、昔の言葉でカワセミは"そにどり"って知って、それで決めました。それにカワセミの色も好きなんですよ。翡翠色ってちょっとエメラルドグリーンみたいな色で、修行先のせたが屋のイメージカラーが深緑だったんです。僕はまだまだ深い緑は出せないので、せたが屋のようにどんどん深くなっていけたらいいかなって。」



- 提供しているラーメンについて、紹介をお願いします。

「地元の食材を使って、魚介出汁をメインに作っています。食べやすく、飽きがこないようにって。分かりづらいと思いますが、お父さんが麺屋えぐち、お母さんがせたが屋って感じです(笑)。」

 

- 北原店主が大事にしてることは?

「愛情です。愛情っていう最高の調味料を一杯一杯に入れています。よろしくお願いします。」



<店舗情報>

■麺屋そにどり

住所:三重県四日市市堀木2-10-20

https://twitter.com/sonidori14

2017年7月20日オープン

(取材・文・写真 KRK  平成29年11月)