Vol.54:麺屋さん田

2017年7月12日オープン


「最近、ちょっと大人しいな~」って思っていた京都ラーメンシーンに、久しぶりの注目の新店の登場だ。店主は名門「吟醸らーめん久保田」出身。ラーメンブームの前から京都で大行列を作っていた名店だ。そんな名店で約7年間修業してきた方が、いよいよ自分の店へ動き始めた。あの"久保田"出身という大きな名前を背負うプレッシャーはずっと付きまとうと思うが、そんなのは店主も百も承知の上だろう。オープン2日前という多忙な時期に、インタビューをさせてもらえました。「麺屋さん田」三田店主にKRK直撃インタビュー! 


- ラーメンの世界に入ったきっかけは?

「生まれは兵庫県神戸市なんですが、大学で京都へ来ました。同志社大学です。それから大学を中退して、一風堂(公式HP)に入ったんです。一風堂では3年お世話になりました。当時、一風堂はまだセントラルキッチンになってなかった頃で、錦小路店でもガンガンに大きな寸胴で豚骨スープを炊いていました。」

 

- 独立志望はあった?

「本格的にスープを触っていたんですが、当時はまだ独立しようとかは全く考えていなかったです。ただラーメンが好きで働いていただけです。」

 

- 当時のエピソード?

「一風堂では一部の人だけスープを触れるんですけど、僕は全部任されていました。ある日、河原社長が僕のスープを直々に味見して下さった時、『ちょっと味が濃過ぎるね、君』と言われました。河原社長は『僕は君のスープは大好きだよ。でも博多一風堂はおじいちゃん、おばあちゃん、いろんな人に食べてもらうために万人受けするスープを狙っているから、これは僕の狙っているのじゃないよ。自分が取りたいスープを取るんじゃなくて、一風堂のスープをとるんだよ』と説明して下さいました。『なるほどな』と納得しました。僕のじゃなくて、会社としてのスープをってことです。一風堂ではとても良い経験をさせてもらいました。」


- 一風堂から離れたのは?

「僕が入る前なんですが、久保田さん(現・吟醸らーめん久保田 店主)も一風堂で働いていたんですよ。直接的には時期は被っていないんですがね。僕が入った頃には久保田さんは辞めていて、"吟醸らーめん久保田"をオープンした頃でした。それで久保田さんから何回か声をかけてもらっていたんです。最初は断っていたんですがずっと誘って頂いてたので、2010年7月に久保田さんとこで働こうと決心しました。」

 

- 決め手は?

 「その時はそこまでマニアックに『自分で将来独立したいので勉強させて下さい!』という感じではなかったんですよ。『他のラーメン屋で働いてみても面白いかな?』って程度でした。最初は北店で働いて、すぐに本店で働くようになりましたね。それから久保田さんと僕だけで働くようになっていきました。」

- 「吟醸らーめん久保田」で働き始めて?

「久保田さんのラーメン作りに対する執念というか拘りが凄いから、それを間近で見れたのが一番大きいですね。味噌つけ麺も僕が入った頃から根本的なレシピは同じとしても、常に少しずつ変化を加え進化させていっていますから。動きが凄いんですよ。『完全に同じレシピだった』ってのは全く無くて。河原社長(一風堂社長)の『変わらないために変わり続ける』という名言があるんです。同じ商品を作り続けるってのは劣化みたいなもので、常に味を変えて進化させていく。10年間、ずっと美味しくなり続けていましたからね。そういうのをずっと見続けてきて、久保田さんは本当に凄いなって。ラーメンに対する姿勢。限定とかでも美味しいのができるまでやり続ける姿勢。そのあきらめない姿勢を間近で見れたのが大きいですね。」



- 独立を考え始めたのは?

「3年くらい前ですかね。僕もある程度技術が付いてくるとラーメンに対する拘りが出てきたんですよ。そうなってくると久保田さんがやっていることも凄いけど、『僕だったらもうちょっとこうする。こんな麺を合わせる。スープをもっとライトにする』とか。そういう思いがどんどん出てきたんですよ。それで『いつかは全部自分の思うようなことをしたいな』と思うようになっていきました。」

 

- 独立希望はどう伝えましたか?

「伝えたのは2016年1月、元旦です。『今年いっぱい働いて、来年独立させて下さい』って。結局、物件もなかなか見つからなくて、今年5月まで働かさせて頂きました。」

 

- 久保田さんの反応は?

「もちろん驚いていましたが、でもすぐに『俺はいずれ三田は独立しなあかんって思っていた。全部協力してあげるよ』と言ってくれました。『三田も結婚して家族を養っていくなら、自分でやって稼いでいかないとあかん』って。メッチャ優しい人です。」

 

- 久保田時代、自分のラーメンを作る機会もあった?

「実は人気の限定だった"鶏白湯つけ麺"、2010年から僕が取っていたんですよ。(人気の限定メニュー)"博多越"も僕がしていました。スープは僕が全部していて、タレを久保田さんがするって感じでした。それで僕が独立するとなってからは、勉強のためにタレも全部作らせてもらうようになりました。」


- この場所は?

「今年になるまで全然探していなくて、四条のカフェの跡地とかの話もあったんですが2階の物件だったのでやめて、ここが2軒目だったんですよ。ここで心配なのは『臭い』と『行列』ですね。臭いは近隣と揉めないように、とてつもないダクトを付けて屋上まで上げています。」

 

- 屋号の由来?

「『何か面白いのないかな?』とずっと考えていたんですよ。アルファベットで面白いのとか。いろいろ考えても出てこないし、修行先が久保田さんの名前が入っている屋号だったので、自分もシンプルに自分の名前が入っているのが一番いいと思いました。麺屋ってしたのはつけ麺もやる予定だったからです。実は久保田さん、最初つけ麺をやる予定がなかったので屋号にらーめんを入れたんですよね(笑)。それで三田の"さん"だけ平仮名なのは、よく"ミタ"って間違って読まれるから(笑)。更に、関東の名店で"とみ田"、"しば田"とか、そういうの多いじゃないですか。そういうのも含めて、"麺屋さん田"に決めました。」



- 鶏白湯に決めたのは?

「実は最初は豚骨ラーメン、博多越でいこうと思っていました。でも久保田時代、他に限定とかやっていたら、『鶏豚骨ラーメンも意外と量産できるな』と思って、2017年夏頃には『鶏豚骨と豚骨の2本で行こう』と決めていました。ただ、ここの物件が決まった時、不動産屋の人が『豚骨は炊かないですよね?』と聞いてきたんですよ。豚骨の臭いですね。それで僕はこの物件が気に入ってたので『はい。炊かないですよ』と言いました(笑)。その時、『豚骨を炊けなくなっても、鶏白湯があるし』と思い、その場で切り替えたんですよ。鶏白湯オンリーと決まったのはその時です。」

 

- 「麺屋さん田」の鶏白湯とは?

「昨年から『自分の店でこのラーメンを出すぞ』と決めて、久保田でも限定で作っていました。スープに関しての拘りは濃厚だけど重たくないスープ。綺麗な旨みで物足りなさもなく、食後の余韻が凄くいい。でも濃厚で絡んでくるってのが僕の拘りです。だから下処理とかメッチャ丁寧にしていますね。鶏と水だけ。野菜は一切入れず、鶏と水だけで詰め込むって感じです。」

- 自家製麺?

「製麺に関してはほとんどやったことが無かったので、ぶっつけ本番みたいなものですね。久保田では今年に入ってから製麺機を購入したので、少しだけ製麺をさせてもらっていました。でも、僕が購入したのは違う製麺機なので、7月1日から試作を始めてラーメンに関してはそこそこの麺が打てているんですが、つけ麺の麺はまだ納得のが打てていないですね。」

 

- あの店の麺みたいなって理想はありますか? 

「東京の一燈さんの麺ですね。あの麺がメッチャ美味しかったので、ああいう麺が打てるようになりたいです。」


 - 自分の店へ来店する予定のお客様へ一言。

「僕が久保田さんから学んだのが、常に新しいレシピで美味しくなるように日々努力を重ねていく。どんどんブラッシュアップしていく店にしていきたい。最初は製麺一年生で頼りない麺もあるかもしれないですけど、どんどん勉強して努力していきます。一回目で『あんまりやな?』ともし思っても、半年後に来てもらって『お前、腕上がってるやんけ』と思ってもらうように努力します。一発で判断せずに、長い目で見守ってもらえたら嬉しいです。決して同じ位置では止まっていないので、僕の成長を見ていって欲しいです。」



 三田店主にインタビューしていたら、久保田店主(吟醸らーめん久保田 店主)が突然現れたので、急遽ミニインタビューをさせて頂きました。

- 三田さんの独立は予想はしていた?

「いつか自分でやった方が面白いやろうなってのは思っていました。」

 

- 久保田さんから見て、三田さんはどんな方?

「僕が作ったものをどんどん進化させていくタイプ。僕が元を作ったら、ほっといても三田が美味しくしていってくれる。自分の意志でやってくれていました。」

 

- 「麺屋さん田」がいよいよオープンします。

「鶏の旨味というのはコレ(麺屋さん田のラーメン)で間違いないです。僕的には京都No.1です。ぜひ多くのお客様に食べに来て欲しいですね。麺屋さん田を宜しくお願い致します。」



<店舗情報>

麺屋さん田

住所:京都市右京区西院追分町7-4

公式twitter:https://twitter.com/biri2everymen

(取材・文・写真 KRK 平成29年7月)