2011年4月1日、三重県鈴鹿市に一軒のラーメン屋がオープンした。"つけ麺専門店"ってのだけでも珍しかったが、話題になった1番の理由は店主が京都の名門"京都千丸しゃかりき"出身で、梶店主の一番弟子ということだった。当時、私は開店の10日前に店の前を通り、開店への準備をしていた店主と偶然に会い「今度、4月1日にオープンするんです!」と聞いたのを鮮明に憶えている。エネルギーに満ち溢れた店主の顔が強く印象に残ったものだ。
あれから6年が経ち、今回、店主にインタビューする時間を頂いた。名門"京都千丸しゃかりき"を創成期から支えていた方が関西から出て、遠く離れた鈴鹿市で独立開業したのはなぜなんだろう?つけ麺専門、2号店、そして関西ラーメン界への想い。いろいろ聞いてみたかったことがある。"Menkou ともや"宮下店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「三重県松阪市です。」
- 三重でラーメンは?
「友達と食べに行ったりしてましたが、その頃って三重県はまだラーメン後進という感じでした。来来亭ができる時に『関西から行列店が来る!』って大行列ができてたくらいですから。でも僕は未だに言うんですが、サッポロ一番 塩ラーメンが僕の元祖ですね。」
- 昔から飲食に興味があったんですか?
「そうですね。高校生くらいから元々は管理栄養士を目指していたんですが、調理の方もやろうと思いました。結局、食べ物には興味あったんですよ。栄養のことをするのか、それを生かしたスポーツ医学みたいな方に進むのか。学生の頃の夢で言うと、料理もできて、プロ野球選手とかのプロトレーナーみたいなのがしたかったんです。いろいろ考えた上で、その中で料理の道に進むことに決めました。」
- 料理の道へ進んで?
「京都の専門学校へ入りました。三重にもあったんですが、僕は板前さんをやりたかったので『日本料理といえば京都やろう』って感じでしたね。高校卒業してだったので、18歳頃です。」
- 京都での生活は?
「僕は歴史も好きだったので、お寺とか廻ったりして生活自体は楽しかったですね。」
- "しゃかりき"との出会いは?
「僕が京都に来たのが4月で、"しゃかりき"がオープンしたのが5月でした。一人暮らしだったので『バイトしなあかんな。どこかご飯賄える所ないかな?』って探していたら、僕の下宿先から歩いて2分くらいの所に"しゃかりき"ができたんです。」
- 偶然の出会いだったんですね。
「偶然ですね。近日オープンと書いていたので、とりあえずご飯食べさせてもらえるだろうって電話しました。オープニングスタッフですね。その頃は正直、ラーメンをなめていたので、生活が落ち着いてきたら料亭に行けばいいやって感じでした。それまで居酒屋なんかでも働いていたので、ラーメン屋なんて簡単やろって思っていました。」
- しゃかりきで働き始めて?
「大将がまだ33歳の頃で、しゃかりき自体もまだ始まったばかり。1年目の夏は尋常じゃないくらい暑かった。あの狭い厨房で豚骨炊いてて、全部熱気が籠っていました。厨房の温度計が営業中、50度になっていましたから(苦笑)。オープンしたばかりで、メッチャ暇でした。だから1か月休んで地元に戻ったりして、また9月にまた戻ってきてって感じでしたね。」
- ラーメンへの気持ちの変化?
「こってり系があまり好きじゃなかったんですよ。だから"しゃかりき"のラーメンってこってり系だったのであまり好みじゃなかったんです。でも後で新メニューとして始まった"和風煮干しそば"がメッチャ美味しかったんです。ちょうどその時、学校の授業で出汁の取り方の授業があったんです。昆布出汁、鰹を合わせて一番出汁にして、二番出汁、イリコ出汁、温度管理をきっちりしてお上品な出汁を取るって内容でしたが、しゃかりきがその時作っていた煮干し出汁は、昆布も煮干しもアホほど入れていて、ごっつい出汁なんですよね。それもちょっと温度も高めでしてたりしてて。それで『こっちの方が美味しいな』と思ったんです。料理としての差というか、日本料理は先付から始まって最後のところまでの懐石を元にして作って、一食で楽しむもの。ラーメンは一杯で楽しむもの。『あ~、こういうことなんだな』と思いました。」
- ラーメンに更にはまっていったんですね。
「それからラーメン食べ歩きを本格的に始めましたね。"高安"のヘビーユーザーでした。高安で『なんでこんなに甘いんやろ?』とか、あきひで、天天有、いろいろ京都のラーメンを食べ歩いていました。そしてある日、大将とある人、その二人に無鉄砲へ連れていってもらったんです。まだ赤迫さん(無鉄砲店主)が厨房に立ってはる頃だったんですが、食べた時にもう脳みそをハンマーで叩かれたような衝撃を受けたんです。今までは味の組み立てを見てたんですよね。ラーメンってこういうロジック的に作っていくんだなと思っていたのに、無鉄砲では水と豚骨だけで炊いてる。これでスカーンとやられて、『あ~、、ラーメンってこんなのもあるんや』って。これがしたいってわけではなかったんですが、凄いなと思いました。それから僕の中で2極化したというか、ラーメンに対する考え方が拡がりましたね。」
- 拡がりですか?
「僕は全部作りたいんですよ。大将が好きな清湯からいって全部の味を重ねていってのラーメンも好きだし、動物系をわざと煮出すようなああいう炊き方をしてる店も好き。ラーメンの振り幅を考えたら、何でもできる。他の料理ではこんな振り幅は絶対に無いんですよ。そのラーメンの振り幅に気づいた時、絶対ラーメンをやろうと決心しました。」
- 最初から独立志向?
「そうですね。自分でやるのが大前提でした。日本料理で独立しようと思うと時間がかかり過ぎる。大将が脱サラしてやってる、飲食畑の人じゃないってのも大きかった。飲食にいて食べ物のことを教えてくれる人は多いんですが、もう1つ俯瞰で見て、『社会人とは、、』って大将が言ってくれてたのが嬉しかったんです。」
- しゃかりきでは何年いたんですか?
「2年間バイトでした。途中から東京でも修行をさせてもらいました。いろんな店で働かせてもらい、そして東京のいろんなラーメン屋で食べていました。六厘舎が出てきた時だったんですよ。まだ行列がない頃でしたが、関西にまだ無かった系統なので衝撃でしたね。『こんなつけ麺があるや~』って。」
- 当時、東京でやろうって気持ちは?
「ありました。東京でしないとあかんなって。大将がOKくれたら独立しようと思っていたんです。東京か名古屋ですることを考えていました。天狗になってた頃なので、濃厚魚介を持って行ったら絶対に当たると思っていましたね。」
- 大将の返事は?
「『いや~、お前、調子に乗ってるんか?一年ほど東京でやって少し良くできるようになったからって、俺はまだ認めてないからな!』って。まだ21歳の頃だったので実際に調子に乗っていたし、改めて大将の仕事を見てたら、やっぱり俺は全然できていないな~と分かりました。それで自分が独立するなら、大将に認められてからにしようと決心しました。この人を関西No.1にしたら出ていこうって思っていました。」
- しゃかりきを支えていく?
「大将が外に出ている時、僕が店を守ろうと一生懸命していました。1年間、きっちり店を守ることの難しさ。1回の限定で美味しいものを作るのは簡単。でもそれを1年間続けないといけないことの難しさ。それが僕のラーメン屋としての一番の技術だと思っています。」
Menkouともや(2011年4月1日オープン)
- 三重を選んだ理由は?
「京都か三重の二択でしたね。その頃はもう東京は頭に無かったです。京都でもしたいけど、甘えが出ないかなって。しゃかりきを超えないと意味がない。しゃかりきは京都で歴史を作ってきたので、それを僕が追従しても絶対に勝てないと思ったんです。それで三重に来て、三重に無いものをしたいと思いました。」
- 無いもの?
「つけ麺。濃厚魚介も無かったですね。」
- 場所は?
「三重は地元ですけど18歳までしかいなかったので、あまり土地勘は無かったですね。僕は23号線沿いでやりたかったんです。それで名古屋から伊勢まで走って、物件を探していました。それで見つけたのがあそこでした。本当は四日市でやりたかったんですが、四日市は物件が無いんですよね。」
- 屋号の由来は?
「Menkouの"Men"は"麺"です。"kou"はいろんな意味が欲しいなって。工房のkouでもいいし、麺に恋するでもいいしって。"ともや"は何かキャッチーな名前が欲しかった。僕、智行なので、キャッチーにしたかったので"ともや"にしました。」
- オープンしてからは?
「時間かかりましたね。どん底も味わいました。京都の有名店出身でもこっちでは誰も知らないので、ただの新しくできた店。あの場所はよく潰れる店だから、今度の店もすぐに潰れるだろうって場所的なレッテルもあったし。それでもいろんなお客さんが来てくれていました。」
- Yahoo!次世代でカップ麺化?
「オープンしてすぐにYahoo次世代ラーメン決定戦の審査員賞をもらい、カップラーメン化。これで宣伝になるなと期待していたんですが、全然変わらなかったですね(笑)。感覚でいうと、こういう郊外店は都会の感覚でやっていたら駄目だって気付きました。それで来てもらったお客さんにもう一回来てもらう努力をしていくしかないって思いました。毎月限定をやるとか決まり事を何個も作って、お客さんへの信頼を作っていくとか。あとは長く続けたら、それが信頼になるんですよ。」
Menkouともや 三重大前店(2016年6月1日オープン)
- 三重大前店?
「津で一回閉めているので、もう一回ちゃんとしたいなと思っていました。県庁所在地なので、一軒くらいちゃんとしてる店が欲しいなって。」
- 三重大前店のメニュー?
「簡単に言うと、担々麺が作りたかったってこと。思い出があるんですよ。しゃかりき時代に僕が作った限定がレギュラーになったのが"坦々つけ麺"だったんです。実際の担担麵とは違うじゃないですか。」
- 今後?
「この店になるか分からないですが、ある程度、全部自分のやりたいものが作れるようになったら集大成の店をしたいんですよ。僕の中で醤油というのはこういうの、塩はこういうのってのがあるんですが、担々麺はまだ本格的なのが作れていない。僕の中でまだバランスがおかしいんですよ。なので一回、ちゃんと勉強するために中国でいろいろ食べてきて、本当に自分が好きな担担麺、自分が納得いくものを作りたい。やっぱりメインにしないとできないって思い、今の店でしています。」
- お客さんと自分のギャップを感じますか?
「お店の商品はお客さんのもの。例えば濃厚魚介でもお客さんが望むもので止めています。自分が本当にやりたい濃厚魚介はこれじゃないけど、お客さんはこれを求めてきているのでこれを変えれない。信頼を裏切れないと思ってやっています。」
- 三重県以外での予定は?
「たぶん他には行かないです。もう店に付いてるお客さんを裏切ることをしたくない。僕、この6年間で2店舗閉めているんです。一番何が大事なんやって考えたら、来てくれてるお客さんが大事だなって。」
- 大切にしてること?
「僕が作るラーメンってのは最後までスープが飲めなければいけないんですよ。一口目で美味しいものは"つけ麺"でいいんです。あとは自分の感覚と、お客さんの感覚。自分のラーメン職人としての感覚や経営者としての感覚と、お客さんとの感覚のバランスだけは絶対にとっていきたいなって思っていますね。」
<店舗情報>
■Menkou ともや
住所:三重県鈴鹿市寺家町1536-1
公式ブログ:http://ameblo.jp/menkou-tomoya/
Twitter: https://twitter.com/menkoutomoya
■Menkou ともや 三重大前店
住所:三重県津市江戸橋1-79-3
Twitter:https://twitter.com/tomoyamiedai
(取材・文・写真 KRK 平成29年6月)