2014年2月、関西屈指のラーメン激戦区となりつつあった福島エリアに活きのいい店が現れた。屋号は"らーめん小僧"。"極濃"を売りにしてすぐにメディアでも大きく取り上げられ、一気にスターの仲間入りを果たす。濃厚ラーメンを求めていた大阪の濃厚民族のハートをガッチリ掴み、リピーターが続出。その勢いは更に加速を続け、翌年には日曜限定のつけ麺専門店"豚つけ小僧"、そして2016年にはまぜそば専門店"KOZOU+"をオープンする。各イベントにも積極的に参加し、多くの店とのコラボ、そして店独自のイベントも精力的に開催している。
これほど独創性に溢れ、各方面に積極的な店は大阪ラーメンシーンに今まであっただろうか?らーめん小僧はどこで生まれ、そしてどこに向かっているんだろう?忙しい中、話を聞く時間を作って頂いた。"株式会社 KOZOU"代表取締役 堀川 大地さんにKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「大阪の堺市です。」
- 将来の夢は?
「ずっと野球選手になりたくて、小学校1年生から高校3年生までずっと野球をしていました。でも高校で肘とか壊してしまって、それなら『スポーツトレーナーとしてスポーツに携われたら』って思いました。それでスポーツ系の専門学校で勉強して、そのまま某社から内定をもらっていたんですが、その会社が入社前に倒産してしまいました。」
- 突然だったんですか?
「『就職どうしようか?』ってなって、当時、もう1つやりたいって思ってたのが服屋さん。服が好きだったんです。もう会社が倒産してしまって何も無くなったので、やりたいことをやろうと思い、それでコムサストアに就職しました。そこでは2年半働かせてもらいました。主に接客ですね。販売です。」
- 当時、ラーメンは?
「コムサの中でラーメン部を立ち上げたんです(笑)。早上がりが18時頃に上がれるんで、夜営業のラーメン屋さんに早上がりのメンバーで僕が先頭に立って食べに行くって感じでしたね。それが僕がまだ21歳くらいの頃なので、約8年くらい前です。」
- ラーメンはずっと好きだったんですか?
「そのラーメン部からですね。それまではラーメンのことは全く知らなくて、ラーメン部も正直どこに行ったらいいのか分からなかったので、けっこうチェーン店とかに食べに行くって感じでした。で、ずっとそんな感じでしてたんですけど、段々と『ラーメンって美味しいな!』ってなってきてました。それで個人店とかマニアックな店にも調べてみんなで行くようになっていきました。当時、部員が5~6人いたんですが、僕が嵌まり過ぎていて浮いてしまって、『もう部長について行けへんわ』ってなってきて(笑)、結局、僕一人で仕事終わりに行くようになりました。」
- 屋号の由来は?
「屋号の"らーめん小僧"ってのは、当時、コムサのみんなが僕のことを呼んでいたあだ名なんですよ。ラーメン好き過ぎる若造って。まだ21~22歳の頃だったので。」
- その頃のお気に入り店は?
「無鉄砲さん、天神旗さん、花京さんですね。全く知らなかったんですが、ラーメン好きな人に教えてもらって行きました。それで『何や、このラーメンは?』って美味しさに驚いてしまって。その3店舗はもう何回も行っていましたね。花京さんに週5回くらい、1年半くらい通い続けていました。当時は、花京さんに週5、それ以外に休みの日で1日2軒くらい、いろんな所で食べていました。たまに奈良に行ったり、京都の一乗寺まで行ったりとか。関西圏だけでしたね。」
- ラーメン屋をしたいって気持ちは?
「その時はまだ無かったですね。ただ食べるのが趣味で食べ歩いてただけ。それでコムサで2年半くらい働いていて、最後の1か月くらいですね。僕がラーメンが好き過ぎるから、周りが『ラーメンの道の方が向いてるんじゃないか?』って言うようになってきて。店長も『ラーメンの方がいいんちがう?』って。」
- それで決心したんですね。
「服屋のみんなから後押しもらって、『ラーメン屋で独立目指して頑張ります』って正式に退職させてもらうことになりました。店長とかもやっぱりなって感じでしたね。」
- 退職してから?
「まだコムサで働いてる時、ちょうど150軒目くらいの時に、福島にあった"つけ麺紋次郎"って店に食べに行きました。その時、まだ豚骨魚介ってのが浸透してなくて、しかも極太麺。六厘舎さんが使ってる浅草開化楼(公式HP)の麺で、豚骨魚介で海苔の上に魚粉。そして食べたら美味しい!自分の中で『何なん、これは?』って。『この味を学べたら、自分にとってプラスになるかな?』と思ったので、翌日に紋次郎さんに『求人ってまだ募集していますか?』って電話しました。すると『ちょうど1週間くらい前に人が辞めたので人が足りない』ってことだったので、『じゃあ、働かせて下さい』って。それでコムサの休みの日に紋次郎でバイトをすることになりました。それからコムサの方の退社の引き継ぎをさせてもらってから休みの日は修行の毎日でしたね。そして1か月後に退社して、紋次郎さんに正式に社員として入社しました。紋次郎さんではそれから4年間くらいお世話になりました。」
- 飲食は初めてだったんですよね。大変だったでしょう?
「当時の店長が元々、料理人で職人タイプ。接客ってよりも料理系のことは細かく教えてくれましたね。本当に包丁から全部です。最初の一年はお皿洗いがメインでしたが、2年目に店長が腰痛でいなくなってしまったので、大抜擢みたいな形で僕が店長になることに。そこから無理矢理でも教える側になってしまって、必死に本読んだりしてスープを毎日研究したりして、味をしっかり守っていかないといけないし、大変でしたね。」
- 独立は考えていましたか?
「紋次郎に入る時の面接の時点で、『ここで勉強させてもらって、最終的には独立したいです。』と社長には伝えていました。」
- 物件探し?
「ある時、独立するタイミングがあって、先に紋次郎を退社して先輩の居酒屋さんで働きながら物件を探していました。夜中に居酒屋で働いて、昼は物件探しって。場所はやっぱり福島でってのがありました。理由は元々、紋次郎があったってことで仲良いお客さんが多かったんです。それにその頃には紋次郎が福島から撤退していたので、当時、福島には前の職場の系列が一切無かったんです。円満退社してるので前の職場のお店が無い地域でやらしてもらいたいって思っていましたので。」
- この場所は?
「不動産屋さんに行くと『福島に物件はゼロ』って言われたんです。でも翌日にこの場所でしてた焼き鳥屋さんが実家の事情でやめることになり物件が空くことになったって不動産屋さんから連絡がありました。この物件を見に来た時はこんな路地裏だし、近くに三くさんもあるしってことで迷いましたね。でも『まぁ、コツコツと兄弟でやれば大丈夫かな』って思い、物件をここに決めました。」
- どんなラーメンを?
「修行した先(紋次郎)が煮干し系の豚骨魚介のお店だったので、当初は僕のイメージではそっち系のお店ってのが頭にあったんです。でも修行してる内にどんどん時代も変わっていって、豚骨魚介が『またおま系』って言われるようになってきて、この味で独立しても『またこの味の店か?』って言われると思い、『新しい味を作るしかないな』って思いました。」
- 新しい味?
「この路地裏の物件に決まった時に、『この路地にお客さんを呼べるラーメンを出さないといけない』って。普通の一般的なラーメンを出しても、福島には駅前にも美味しいラーメンがいっぱいあるのでまずこんな一番場所が悪い場所には来てくれないだろうなって分かっていました。それで福島に無いジャンルって考えたら、豚骨。当時、豚骨ラーメンって枠が福島に無かったんです。普通の豚骨じゃなくて、ここまで呼ぶってなるとメチャクチャ濃厚。極濃スープの豚骨。ただ、福島って上品な街でもあるので、臭い系、ブワって出してしまうと敬遠されてしまうかなって思ったので、濃厚だけど油とか臭いを極力使わずに、ドロっとしてるけど上品な豚骨を作れないかな?って。臭みのないドロッとした豚骨を作ることにチャレンジしましたね。」
- 試作はどのくらい?
「1か月くらいですね。延ばそうと思えばできるんですけど、先輩にも『オープン日決めて、それに合わせていかないといつまでたってもオープンできへんで?』って言われたんです。それでオープン日を2月17日って決めてしまって、そこに合わせて試作をしまくるって感じでしたね。」
らーめん小僧(2014年2月17日オープン)
- 屋号は?
「自分の中ではもっとかっこいい名前。例えば"麺屋・・"とかかっこいい感じで考えていたんです。独立するってなった時に服屋のみんなは『らーめん小僧でやったらいいんちがうん?』って言ってて、僕は『いやいや、それは無いだろう』って言っていましたから(笑)。僕の下の名前で"麺屋 大地"とかそんなのがいいなって思ってたんですが、みんなに『らーめん小僧ってメチャクチャいいんやん?』って何度も言われてると、段々と『らーめん小僧でいいかな?』って気持ちになってきて(笑)。それからは段々と愛着が湧いてきて、今では『らーめん小僧で良かったな』って思いますね。」
- そして、いよいよオープンですね。
「全く宣伝はしてないんです。今でもそうなんですけど、広告費に対して1円も払ったことはないんです。ホームページは友達が作ってくれてるんですよ。それでオープンの1ヶ月目くらいに魔法のレストランのディレクターさんが来てくれて、『前に食べたんですけど、取材させてください』って話がきました。お蔭様で早い段階からけっこう忙しかったですね。朝8時から夜中12時まで毎日していました。」
極濃らーめん
- 予想よりも早く知名度UPしたことには?
「正直、大変でしたね。自分の中ではまだ味が定まってなくワンシーズンしか経験してなかったのに、一年目からお客さんさんが予想より多く来てくださるようになって。レシピの調整は毎日、カエシ、スープを作るにしても同じレシピで作ることは最初の頃は無くて、お客さんに分からない程度にホントに何グラムだけ昆布増やすとか、椎茸増やすとかして、1年くらいは研究を続けていましたね。」
- 順調?
「爆発はしてませんが、ずっと徐々にちょっとずつ上がっていってる状態。オープン景気みたいなのは無く、ちょっとずつ上がっていっています。」
- 客層?
「この場所なんで常連さんが多いですね。学校が無いエリアなので、大学生とかほとんど来なくて中心となってるのはサラリーマンのお客さんですね。」
- デザイン?
「ウチの常連さんがデザインの仕事をフリーでしてる人がいたんです。それで名刺とか一度作ってもらったらかっこよかったので、それから店舗のデザイン、ロゴのデザインやTシャツのデザインとか総合的にデザインを任せることになりました。」
極濃つけ麺 豚つけ小僧(2015年7月5日オープン)
- つけ麺?
「最初は『らーめん小僧』って屋号なので『ラーメン一本で!』って思ってましたが、夏の暑い時期にお客さんから『つけ麺はないの?』って声が多くあって、ラーメン一本って思ってたけど、需要があって『やった方がいいのかな?』って思いました。つけ麺の開発に関しては、元々は修行先の"つけ麺紋次郎"でしていたのでメッチャ早かったですよ。お客さんが『メッチャ美味しいな!』って言ってくれて人気が出てきたんですが、店のオペレーションの関係でつけ麺のオーダーが重なると、どうしてもラーメンの提供が遅れてしまうって問題が出てきました。それで定休日の日曜に"つけ麺専門店"としてつけ麺を提供することにしました。ちょうどタイミングよく、紋次郎の時の後輩が『ここで働きたい』って入社してくれたので、つけ麺屋の店長は彼に任せてってことになりました。」
豚骨まぜそば KOZOU+(2016年5月23日オープン)
- まぜそば?
「お客さんから『汁なしが食べてみたい』ってリクエストが多くあったんです。でもウチは豚骨ラーメン屋なので汁無しって言われても『それはちょっと無理かな?』って思ったんですが、太麺を発注、醤油も調整して香味油を作って賄いで試作してみました。そのままだと面白くないから豚骨スープを1対1くらいで入れて麺に絡めて食べてみると、醤油中心の味からスープの旨味も加わって『面白いな。新しい味だな』って思い、そこから研究を始めてレギュラーメニュー化にすることになりました。そのまぜそばがけっこう人気になって、最初は限定15食で提供していたんですが、まぜそばが売り切れると帰ってしまうお客さんがいるくらい人気になって『そこまでまぜそばに需要があるんや?』って驚きました。それで豚骨まぜそばってのは他に無かったし、まぜそば専門店をオープンすることに決めました。」
- うまい棒をトッピング?
「小娘のアイデアです。僕の妹なんですけど。『まぜそばをレギュラーメニュー化する』ってなった時に、何か食感が欲しかったんです。それで調べてみるとベビースターラーメンをかけてる店があって、『お菓子かけるんや?』って驚いて、その時に妹が『うまい棒なら味いっぱいあって面白いんちがうん?』って言いました。でも僕は作り手というか職人タイプなので、『やめてくれ。俺の作ったまぜそばにそんなん勘弁してくれ。』って最初は反対してたんですが、
うまい棒を試してみるとサクサクって食感があるし、味も好きな味にできるし面白いかなって思いました。いざ提供してみると評判がメッチャ良くて話題になって、来店するお客さんから『うまい棒を入れるのってどのメニューですか?』って聞かれることも(笑)。」
- 2016年6月にリニューアル?
「ませぞば専門店をオープンしたので、らーめん小僧のメニューから『汁なし』を無くして、ラーメン2種類のみに戻したんです。その時に『豚骨』と『豚骨魚介』って2つのメニューで考えた時に、『何の専門店か全然分からないな?』って思ったんです。それで『豚骨専門店』、豚骨以外の食材を使わない豚骨専門店。『豚骨ラーメンなら、福島のらーめん小僧』って思ってもらえるようにって。福島って激戦区なので一個でも極めないと厳しいんじゃないかな?って思いました。」
- 豚骨一本への不安は?
「僕は元々、紋次郎で働いていたので煮干しも作れていたので煮干しのファンもいたんです。でも修行先の味を全部使わないで、『完全に自分が考えた商品だけでしたい』って思いました。それで煮干しのラーメンは止めて、本当に独学のレシピだけで豚骨専門店としてリニューアルしました。その時、アドバイス頂いたのはあっぱれ屋 仙度さん。『もう魚介とかやめたら?』って言ってもらって。その時、気持ち的には同じことを思ってた自分があったんですが、たぶん、誰かに言われてなかったら普通にそのままやっていたと思います。やっぱり魚介のラーメンにもファンがいるんで、そういうことを考えたら『どうしようかな?』って悩んでいたんです。その時に『やめたら?』って言ってもらったので決心できました。」
- 具体的には?
「それから豚骨だけの商品を考えて、あっさりの豚骨がいいのができたので魚介をやめれました。魚介を気に入ってくれてたお客さんも、あっさりの方を食べに来てくださっているので良かったです。心配していた客離れもなく、売り上げも順調に上がっていってるので。」
- 小娘さんについて。
「僕が紋次郎で店長してた時、バイトリーダーしていました。元々、妹はラーメン屋で働くつもりは全く無かったみたいで、カフェ店員をしていたんです。ある時、僕が紋次郎で店長してて人出不足だった時があって、小娘に『ちょっとだけ手伝って』って頼んで働いてもらうことに。それから今に至るって感じです(笑)。仲は良いですよ。プライベート面に関しての喧嘩はゼロです。お店に関してはお互いになあなあではしてないので、厳しく言い合うこともあります。」
- 今後?
「つけ麺が現時点では日曜しか食べれないってことなので、チャンスがあれば豚骨つけ麺の店を出せたらなって思っています。」
- 豚骨以外に興味は?
「"らーめん小僧=豚骨"ってイメージを作りたいので、豚骨に拘りたいなって思っています。もし煮干しとかするなら、屋号をいじるとかになるでしょうね。」
- 堀川さんの大切にしてること?
「一番僕のコンセプトとしてることは『真面目に遊ぶ』ってこと。ただ遊ぶ、ふざけるとかじゃなくて、真剣にみんなが遊ぶ。真面目に遊びながら、みんなで仕事していけたらなって思っています。おふざけでは仕事はしない。かと言ってかっちりし過ぎると良い発想が出てこなくなる。賄いをみんなで食べながら、定期的にミーティングとかしています。いろんなことにチャレンジしていきたいですね。ラーメンっていうだけの発想だけじゃなくて、いろんな所で。」
<店舗情報>
■極濃拉麺 らーめん小僧
住所:大阪府大阪市福島区福島3-8-10
公式HP:http://kozou53.jp/
Twitter:https://twitter.com/kozouramen
Facebook:https://www.facebook.com/ramenkozou/?fref=ts
(取材・文・写真 KRK 平成28年12月)