2011年11月、我孫子に一軒のラーメン屋さんがオープンした。当時、まだ関西では珍しかった煮干しラーメンに特化した店で、「面白い店が現れたな!」と思ったものだ。雑誌などで賞を獲ったりして知名度を上げ、緩やかではあるがラーメンファンの心をきっちり掴んで独自の地位を築き上げていっている。今や多くの煮干しラーメンの店が各地でオープンしているが、その道を関西で最初に作ったのが「中華そば 閃」だ。夜営業前に話す時間を作って頂いた。寡黙なイメージがある店主だが、何を語ってくれるんだろう?中華そば 閃 福井店主にKRK直撃インタビュー!
-出身は?
「大阪の高石市です。実家は石屋をしていたので、昔から手伝ったりしていました。大学卒業してから、就職せずにDJをしていたんです。それで一緒にしてた仲間が『東京で勝負したい!』ってことで東京へ行くことになりました。結局、1年間くらいで挫折したんですが、でも、その1年が今で考えると大きな分岐点ですね。」
- 分岐点?
「東京で住んでた頃にたまたま入った七福神ってラーメン屋さん。大勝軒のお弟子さんがしてる店で、魚介の醤油つけ麺を食べたんです。その頃はまだ関西に無かった系統ですし、食べてびっくりしましたね。『メッチャ美味いやん!』って。それで当時、住んでたのが永福町。駅を降りたら大勝軒があって、メッチャ並んでる。もちろん食べていました。それが24~25歳の頃です。」
- それから?
「1年間くらいで音楽を挫折して大阪へ帰ってきました。それで親父に『サラリーマンするんか?家の仕事を手伝わへんか?』って言われてそのまま家の仕事、石屋さんを手伝うようになりました。」
-その頃、ラーメンは?
「ラーメンを食べるのは好きだったので、地元の店、麺座ぎんさん、龍旗信さんとかで食べていました。遠くまでってわけでなく、近くの評判のいい店だけで食べていました。」
-家の仕事は?
「元々、ずっと昔から『飲食業をしたい』ってのがぼんやりあって、その中でラーメンは好きだったので意識するようになってきてました。家の仕事は好きでしてたわけでないし、『このままでいいんかな?』って悩んでいました。『何か熱くなれる仕事をやりたいな』って思ってたし、それなら『ラーメン屋さんをしてみようかな』って思い始めました。」
-スタートは?
「どこかのラーメン屋さんで修行とかじゃなく、スタートは『家でもラーメンを作れるんかな?』って思い、自作ラーメンを作ることからでしたね。小さい鍋で、鶏ガラを買ってきて、何も分からないのでラーメンの教本を買ってどこかの店の作り方を参考に作ってみたりしていました。最初に作ったのは本当にまずかったです(苦笑)。それから自分の店をオープンするまで、自作は2年半くらいしてました。何が足りないとか、試行錯誤の日々でした。」
中華そば 閃(2011年11月3日オープン)
ここでしか食べれないなってラーメンが作りたい。
-どういうラーメンを?
「自分の店をって考えた時、もう「煮干しをメインに使う」って決めていました。やっぱり東京にいた頃の大勝軒の影響が大きかったです。大阪に帰ってきてからも「取り寄せラーメン」で食べていましたし。『ああいうラーメンが作りたいな~』ってずっと思って自作ラーメンをしていました。ただ大勝軒のそのまま目指すんではなく、僕の場合はスープに良質の材料を使う。純粋にいい醤油使って、いい味醂使って、いい砂糖をって考えがありました。煮干しがまだ関西で流行ってない頃でしたが、そういうのは全然頭に無くて、とにかく『やりたいのはこれ!』って煮干しで決めていました。」
-屋号は?
「店をする前に、毎年、数人の仲間と車で東京へ食べに行ったりしていたんですが、車内で仲間達と『屋号、何がいいかな?』とか話してて、でも決まらず、誰かが『なかなか閃かへんな~』って言ったんです。それで『あ~閃きで、閃は?二文字で言いやすいし、これでいいんちがう?』って感じで決まりましたね(笑)。」
-場所は?
「人の多い所でするって考えもあったんですが、飲食が初めてだったので捌ける自信もなかったし、かと言って地元でするってのも避けたかったので、その中間で我孫子に決めました。前の仕事の時、我孫子にはよく来ていたので『人多そうやな?歩いてみようかな?』って思って町をリサーチして、ここに決めました。」
-同業者の知り合いは?
「オープン前だと、四神伝の店主さんや仙台のヘルズキッチンの店主さんと知り合いだったくらいですね。その二人とはmixiを通してなぜか知り合いになっていました。当時、友達のバーで1日限定でラーメン屋をしたりしてたんですよ。で、四神伝の店主さんが『本当にラーメン屋をするつもりなら相談にのるよ?分からないことがあったら何でも聞いて』って言ってくれて、いろいろアドバイスを頂いていました。」
-自分の店をオープンして?
「大変でしたね。全部大変でした(苦笑)。『これ、ホンマにやばいな』って思いましたね。『お客さんが来ない』って(苦笑)。しかもオープン日の夜に泥棒に入られたり。最初の1年くらいはとにかくしんどかったんですが、一番大変だったのが味の安定でした。今でも悩んでるんですけど、僕は自分の中のコンセプトとして『添加物を入れない』ってのがあるから。自然のものだけでスープを作るってこと。オープン前って自作で単発でしてただけだったけど、自分の店をオープンするとそれを『ずっと作り続ける』ってことになるんです。その苦労を知らなかったんですよね。いざ作り始めたら、同じ分量でも出汁の出方が違う時もあるし、夏と冬でも違うし、その辺りで本当に苦労していましたね。」
-ブレイクのきっかけは?
「ラーメン本で新人の準GPを頂いたり、テレビで紹介してもらったりが続いて、多くのお客様が来てくださるようになってきました。翌年にはつけ麺でも賞を頂きました。本当に有り難かったですね。リピートしてくれるお客様も増えてきた時期です。」
-メニューは?
「元々は醤油と塩だけって考えていたんですが、我孫子って立地でお客様に何度も来てもらうなら『メニューを増やさないと厳しいな~』って思い、つけ麺や油そばを追加しました。」
-なぜ三河屋の麺を?
「最初、自作してた頃は違う麺屋さんの麺で作っていたんですが、何かで偶然に三河屋製麺さん(公式HP)を知ったんですよ。そして麺を送ってもらって使ってみると、それが自分のイメージに合ったんです。それがたまたま東京の麺屋さんだったってだけです。自分でパスタマシーンで麺を作ったりもしていましたね。」
-自家製麺については?
「今の店ではキャパ的に無理ですが、『いつかしたい』って気持ちはあります。」
-醤油への拘り?
「醤油はいろいろ試しました。大量に作ってる大きな所のは年間を通して安定してる。ただ、やっぱり手作り、丸大豆と小麦と塩だけ使ってるってのだけを選んでいます。醤油蔵に見に行ったりもしてますし、凄く拘っています。機械とかじゃないし、本当に手作り。だからこそ、毎回自然のものだから違いも出てきます。今使わせてもらってる所もロットによって醤油の感じが変わってくるので、その辺りの調整が難しいです。醸造の期間も1年では浅いから、2年くらいだと旨みも増えるし。生揚げも一時使っていたけど、年間を通して使うのは難しい。」
-煮干し?
「一部で流行ってる粉砕系、がっつり系とかじゃなくて、出汁としての煮干し。エグミとか好きじゃなく、ネガティブな味を出さず美味しい旨みに拘っています。煮干しもだから、ブレ防止もかねて4種類使ってる。毎回大きさも違うし、毎回見てブレンドの配分を変えたりして安定して出せるようにしています。」
-理想は?
「僕は煮干しだけってよりは、そこに動物系のスープ、イノシン酸、グルタミン酸みたいな美味しさを加える方が好きです。ボディーがしっかりしたラーメンを作りたいと常に思っています。いつも思うんですけど、オリジナリティーが大事だと思う。ちょっと遠くからでもわざわざ来ようって、ここでしか食べれないなってラーメンが作りたい。」
全てをブレずにやっていきたい。
-お弟子さんは?
「社員一人いますが、独立希望ってわけでなく、ウチの味が好きで働いてくれています。」
-接客については?
「常にお客様の方を見る。飲食店としての必要なレベルってのがあると思う。ウチはお客様との距離が近いので、『常にお客様はコチラを見てるんだから、それなりに高いレベルの仕事をしないと』って教えています。」
-好きな店は?
「東京でなら多賀野さんが好きですね。雰囲気とか。リピートして普通に通いたいなって店です。白湯ならあっぱれ屋さんが好きですね。」
-大事にしてること?
「デフォというか、レギュラーメニューを大事にしています。手を抜かず、真面目に作っていきたい。接客に関してもちょっとずつレベルを上げて、オペレーションや味、今の店に関して全てをブレずに地道にやっていきたいです。」