Vol.05:和 dining 清乃


 和歌山県のみかん王国"有田"に、その店は忽然と姿を現した。正確には以前から地元では人気の店だったが、関西のほとんどのラーメンファンの当時の心境としては「忽然と現われた。」という言葉がしっくりくるだろう。

 ラーメン屋らしからぬ屋号で、店には座敷もあり、大きなエビフライ。そして基本の醤油ラーメンを頂いてみると、とんでもなく美味い。「一体、何の店だ?」と驚いたものだ。みかん以外でも他府県の人間を遠い有田へ呼べるほどの存在となった今、店主の話を聞いてみたくなった。忙しい中、じっくり話せる時間を頂いたのでいろいろ謎を解けたらと思う。"清乃"原田店主にKRK直撃インタビュー。


─生まれは?

「函館です。小学3年までいましたね。それから父の仕事の関係で和歌山県へやって来ました。特にラーメンを食べることにさえ興味も無くて、中学の卒業アルバムには『板前になりたい!』って書いたりしていましたね。」

 

─料理人への憧れはなぜ?

「両親がどちらも働いていたので自分で料理をすることが多かったです。何か作ってとか頼まれたり、食べてもらって喜んでもらうのが嬉しかった。それで興味を持ち始めました。そして高校の時に包丁を使う仕事がしたくて、お肉屋で働かせてもらっていた。アルバイトって感じでもなく、無償でしたね。包丁に慣れるのに経験を積ませてもらえました。」

 

─当時、料理以外に興味はなかった?

「親父がテニスを教えていたので僕もテニスをしていましたが、それよりも料理の方がずっと楽しかったですね。」

 

─ すぐに料理の道へ進んだんですか?

「高校卒業して、和歌山市内の和食の店に就職しました。とにかく厳しい店でしたが、イチから学びました。見習いだから雑用ばっかりしていましたけどね(笑)。そして数年後に、ある先輩が独立するって時に『お前も一緒に来るか?』と声をかけてもらえました。そして、その和食の店で一緒に働き始めました。その店では本当にいろいろ学ぶ事ができました。最初の店はとにかく人が多くて、なかなか教えてもらう機会が無かったから。その店では5年ほどいました。」

 

─その頃、ラーメンは食べていたんですか?

「その店が山為食堂の近くだったのでラーメンはよく食べていたけど、作ってはいなかったですね。」

 

─そして独立へ?

「最初から自分の店をしたかったんです。そして30歳の時に先輩に独立したいことを伝えたら、先輩からは『もう独立してもやっていけるだろう』と言ってもらえました。」

 

─場所は?

「たまたま駅から歩いて実家へ帰る時に空き物件を見つけて、ここにしようってすぐに決めました。漁港が近いのも大きかったです。1日違いで鮮度が全く違ってくるので、この立地がとても魅力的でした。実家からも近かったし。」


─屋号は?

「響き、これから"せ~の!"で頑張ろうって意味も(笑)。」

 

─本当の話なんですか?(笑)

「本当ですよ(笑)。"せ~の"に和食っぽい感じを加えたかったので"清乃"にしました。一人で考えたんですよ(笑)。」

 

─独立して?

「お陰様で最初からすぐに忙しくなって、お店に入れないお客さんもいたくらいで、予約でほとんど埋まるほど。それでより広い物件を探していて7年目に今の場所に移転してきました。その最初の場所で7年、今の場所に来て7年目になります。」

 

─ラーメンはいつから?

「最初の和食の店で〆のラーメンは既に出していたんです。弟子に鶏の捌き方を教えるために丸のまま姿でもらってたので、それを捌くとガラが余る。『勿体無いな~』ってことからラーメンを作るようになりました。余ったガラを大量に使うのでかなり厚みのある鶏スープで、店の常連さん達にとても評判が良かったんですよ。最初は乾麺を使っていましたね。」

 

─ ラーメンの評判が良くなってきて?

「最初はガラが余ってもったいないってことだけが理由で作りだしたんですが、ラーメンを注文するお客さんが凄く増えてきたので、ランチはラーメンだけで営業しようかなって考え始めました。本当にラーメンを作ることにハマりだしたのは、今の場所に来て2年目くらいだったかな?タレとか全て独学だったので、本とかで調べていました。本格的なラーメンの作り方が分からなかったので。」


和dining 清乃(1998年オープン)


─麺屋棣鄂さんとは?

「最初は地元の麺屋をしばらく使っていたけど、いろんな方面から麺屋棣鄂さん(公式HP)の良い評判を聞くようになったので、『それなら一度使ってみようかな?』とサンプルを送ってもらいました。すると驚きましたね。地元の麺屋の麺と全然違う!それで麺を使わせてもらうようになりました。」

 

─そして自家製麺へ?

「どんどんラーメンにハマッていって、スープやタレを突き詰めていくと、最後は麺にこっちが合わすってなる。交流のあった四日市市の堀さん(鉢ノ葦葉 店主)も『自家製麺をしたら?』って言ってくれてたので、最初は手動の機械(パスタマシーン)で製麺してみることにしました。ただ、足踏みしたりして、とにかく凄く時間かかって汗だくでしたね(苦笑)。堀さんからは麺について多くのこと、熟成とか、いろいろ学ばせて頂きました。」

 

─鉢ノ葦葉さんとの出会いは?

「最初、僕が四日市市(三重県)まで食べに行きました。あるブロガーさんのブログで見て興味を持ったから。みんなから評判いい店だったし、写真とか見てたら自分の目指すのに近いラーメンって思ったんですよね。僕はあまり他の店と繋がりを持つ事が苦手なんですが、その時は名刺を自分から渡しました。同じ方向性というか、何か感じるものがあったんでしょうね。それから堀さんが和歌山まで来てくれたりして、交流が始まりました。堀さんははっきり修正点を言ってくれる兄弟子のような存在です。」

 

─師匠と呼んでる神楽さんとの出会いは?

「あるブロガーさんが金沢の神楽さん(自然派ラーメン神楽)をずっと最高評価してたし、他のラーメン通さん達からもよく名前がでていた店。それなら絶対にいかなあかなって思ってて、2年前くらいに金沢まで行きました。」

 

─どうでしたか?

「もう衝撃でしたね。今まで自分は何をしていたんだろうって。自分が目指してる醤油ラーメンが目の前にあるって感じでした。それから名刺を渡して交流が始まりました。神楽さんもすぐに和歌山まで来てくれましたね。神楽さんとの出会いが僕のターニングポイントです。本当に多くのヒントを頂きました。神楽さんは何gとか何パーセントとか具体的に言ってくれる。普通は"cc"で計ってるところが、神楽さんは全部"グラム"でしてる。堀さんもそうでしたね。そこまで突き詰めているってことです。」



─角長醤油?

「最初の清乃の頃から〆ラーメンで角長醤油(公式HP)を使ったりしてたけど、醤油が強すぎて一度あきらめたんです。それから数年後に、今の場所へ移転してからまた使ってみると、僕の技術も向上していてそこそこ使えるようになっていました。地元に角長のような良い醤油があるんだからメインで使っていこうって思いました。」

 

─ラーメン屋として?

「ウチの知名度が上がるきっかけは"らの道スタンプラリー(公式HP)"に参加させてもらったことです。それまでは他府県からのお客さんはほとんどいなかった。らの道に参加してから客層が一気に変わっていきましたから。」

 

─そしてラーメン専門店としてリニューアル?

「常連さんがいるので一気に変えるってことはできなくて、ちょっとずつ変えていき、2015年5月に全面リニューアルしました。以前は宴会用の間取りだったけど、今は家族テーブルとカウンターのみ。メニューもラーメンがメインです。」

 

─屋号はこのまま?

「もう和ダイニングは取りたいですね。場所も特にココって拘りはありません。今はとりあえずこの場所でしていますが。」


─和歌山近鉄百貨店に2号店を?

「物産展とか時々出してもらっていたので和歌山近鉄さん(公式HP)と付き合いはあったので、地下のスペースが空いたのでオファーを頂きました。『和歌山ラーメンをメインで!』って話でしたね。駅前なので観光客でもご当地"和歌山ラーメン"を楽しめるようにってことです。」

 

─今後は?

「多くのメディアにも取り上げてもらえるようになって、客層もガラッと変わってきていますが、今の清乃のスタイルで喜んでいってもらえたら。自分が美味しいと信じてる今の方向性で突き進んでいきたい。あっさり醤油、旨みが何一つ足りないことのないようなラーメン。清乃での一番のオススメは、もちろん角長醤油 匠です。」



<店舗情報>

和 dining 清乃

和歌山県有田市野696

店主Twitter:https://twitter.com/BistroSeino

(取材・文・写真 KRK 平成27年9月10日)