京都府城陽市の山奥で行列を作り続ける店、俺のラーメンあっぱれ屋。京都、そして関西ラーメン界のトップに君臨している人気店だが、正月特番も拒否するほどメディアNGを貫いてるお店だ。謎が多い店なので聞いてみたいことが山ほどあるので、駄目元でインタビューをオファーしてみたらOKの返事を頂いた。"あっぱれ屋" 仙度店主にKRK直撃インタビュー。
─ 生まれは?
「奈良県五條市です。」
─ この世界に入ったきっかけは?
「高校時代の飲食店でのアルバイトで料理に興味を持ち、高校を卒業後、大阪へ出て都ホテル(上本町)へ就職しました。その後、ヒルトンホテル、そして友人のフレンチとイタリアンのカジュアルレストランで数年間働いた後、ウェスティンホテルへ。その頃より独立志向が強かったけど、資金が無いので身動きできなかったんです。既に結婚していたじゅんちゃん(現・あっぱれ屋女将さん)が中華料理屋の娘なので、親父さんの紹介で某中華料理屋さんを紹介してもらいお店を譲ってもらえる話もあったんですが、人間関係がうまくいかず断念しました。その後、枚方市の某中華料理店の『独立希望者求む』って求人を見て就職し、しばらく働いた後、系列店の1つを譲ってもらい独立。10年ほどその中華料理屋をしていました。」
─ その頃からラーメンも作っていたんですか?
「四川ラーメンがメインで、八宝菜やエビチリとか作っていましたね。ラーメンブロガーとかは全く来ない店でした。その頃が一風堂さんとか佐野さんとか出てきてた時代で、テレビで『ガチンコラーメン道』とかしててラーメンに興味を持ち始め、東京に行ってラーメン食べ歩きとかもしていました。当時は東京で行列を作るラーメン店があるのは知っていましたが、関西にそういう店があるのは勉強不足で知らなかったです。」
- 本格的にラーメンに興味を持ったのは?
「ある時、たまたま友達から聞いた木津市の無鉄砲さん(公式HP)に食べに行ってみたら、『うわっ!平日の2時にこんなに並んでる店が関西にあるんや?』って衝撃を受けました。無鉄砲さんのラーメンにも『ラーメンというのはここまでしないと多くの人に受け入れられないんだ』と驚かされたな~。もう人を雇って商売するのも嫌になってた頃だし、じゅんちゃん(現・女将さん)と二人だけで『世間に迷惑かけずにやれる店をやりたいな』と思い、ラーメン屋をすることを決めました。
同時期に、高槻のきんせいさん(公式HP)に食べに行った時、開店前に店の前に停まってたバイクのナンバーを見て『美味しいラーメンを作ってたら遠くから食べに来てくれる。場所は関係ない』ということにも気付きました。」
─ それから、あっぱれ屋オープンへ動きだす?
「そう!二人だけでしようって決めたけど、それから実際にやり始めるまで3年かかりましたね。ちゃんとしたラーメンの作り方を知らなかったから、大和のラーメン学校に行ったりして、中華料理屋をしながら研究を続けていました。雲を掴むような感じだったな。麺をどうしよう、タレをどうしようとか考え続けていました。」
─ 場所は京都に決めていたんですか?
「いや、最初は大阪周辺で探していました。でも駐車場が十分にある場所がなかなか見つからなかったんです。無鉄砲さんがイメージにあったから駐車場は大事でした。 ある日、大和の製麺機の営業マンと『嫁さんと二人だけで、昼だけで100杯売って、閉めるような店をやりたい』って話してたら、『うどん屋さんでそれやってる店あるよ』と教えてもらいました。その店が(当時、宇治田原で営業してた)たなか家ってうどん屋さん(公式HP)。
そして、たなか家さんに食べに行った帰り道に、ある物件が目に留まりました。釣りに行く時に前を通ってて知ってた物件だけど、その時に『そうやそうや、こんな所もいいやん』って思い、Uターンして確認すると店の裏に十分な駐車スペースもあり、『ここに決めた!』って決断しました。いろんなイメージとか考えて、合致するのはここだなって思いました。」
─ 店の屋号の由来は?
「いろいろ考えたんですよ。まず"ひらがな"ってのが前提にあって、二人でいろいろ候補を出してネット検索してても、なかなかいいのが浮かばない。そしてある時、お客さんにウチのラーメンを『あっぱれや!』って褒めてもらいたいな~って思いも込めて、俺のラーメンあっぱれ屋が浮かびました。」
─ メニューは?
「豚骨でこういう感じってイメージはありました。白濁させて乳化させて、ライト豚骨と無鉄砲さんの間ってラインで決めていました。いろいろ食べ歩いてて『このラインが絶対売れ筋になる』って分かっていました。」
─ 当時、まだ関西では出している店が少なかった"つけめん"をメニューに加えたきっかけは?
「こんな立地だからオープン当初はお店がしばらくヒマだったので、ラーメンの写真を撮ってる人たちとよく話してて、『これからはつけ麺をしないと駄目ですよ』って言う人がいたから気になって。ウチの麺は独特ですから、麺自体を楽しんでもらいたくて、つけ麺も途中からメニューに加えました。
─ オープン当初、屋号同様、独特の麺も話題になっていたのは狙い通り?
「こんな立地だから話題になるように、人と同じことをしてたら駄目だから太いか細いかどちらかにしようと考え、太いのを選び、平打ち、高加水の麺にしました。人と同じことをするのが嫌いってのもありますね。」
─ 当時、まだ珍しかったレアチャーシューや極太メンマも話題になりましたね。
「一通りのチャーシューをいろんな部位を使い試してみたけど、豚肉を一番美味しく食べるって考えたら、火入れして、オーブンでってのが一番美味しいなって思ったから。
メンマはね、自分では太く切ったつもりはないねんけど、見た目だけの感じで決めただけ。他がやってないってのもありました。最初の1週間ほどは『切り目』を入れてなかったけど、お客さんが食べてるのを見てたら、噛み切れなく飲み込んだり、食べるの止めたりしてたのを見たので、噛み切れやすいように切り目を入れ始めました。」
─ 話題になり口コミで拡がっていった全てが、ほぼ狙い通り?
「そうですね。他には無いビジュアル。写真撮ってもらって、それをネットで見た人達が『食べてみたい』って思わせるビジュアルじゃないと駄目って思っていました。写真を撮ってもらうのを前提で、照明も工務店に細かく注文してちゃんとしてもらいましたから。」
─ 平成26年2月に"しお豚骨魚介ラーメン専門店"としてリニューアルした理由は?
「個人的には醤油が好きだったんですが、醤油が全然売れない、リピートしてくれない。割合としては9対1くらいだったんです。ずっと変わらなかったのでそのジレンマが凄くあったし、残されることもよくあったから。そうなるとやっぱり塩に特化して『ノーマルと濃いの2本にしたらいいかな?』って思いました。」
─ 限定で出してた味噌とかは考えなかった?
「それはね、同時同卓提供(同じテーブルのお客様から受けた注文は同時に提供する)ってのがあるでしょう? 塩2種類とつけめん、3種類がマックス。それ以上は増やせなかった。」
濁とろ塩チャーシューメン
─ この取材を受けた理由は?
「僕の想い、どういう流れでラーメン屋をしているのかを知ってもらいたいって気持ちがあります。テレビや雑誌とか誰でも見れる媒体では知ってもらいたくないけど、わざわざ探し出してここへ来たって人達には知ってもらいたいなと思いました。」
─ 今後について?
「何も考えてないけど、体力的な問題で豚骨を続けることが厳しくなるってこともあるかもしれない。僕のテーマは『作り続けること』、そして『あの頃の気持ちはまだ持ち続けているか?』ってことだから、それはもう2大テーマとして持ち続けていきたい。僕の原点は調理師、コックさんだから、『お前の作ってるものは美味い』って言ってもらうのが大事。だから絶対に人には触らせない。自分で作り続けることを大切にしています。」
─最後に一言お願いします。
「いろんな人との出会い、ご縁、ご指導、そのお陰であっぱれ屋の今があると思っています。今後はこういう状態をどれだけ続けていけるかってのがテーマと思ってやっていきます。」